2010年09月28日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (7)

著 : 辰巳 保夫

 横須賀

 一般の乗客の乗った列車の後部に、我々の乗る車両が特別に2両連結されてあり、その車両に私達は乗り込んだ。 特別車両になっていたため座席は十分にあった。 高茶屋駅 (紀勢本線) での停車時間は短かく、乗り込むのが精一杯であり見送りに来た人達と話をする暇もなかった。

 夜行列車である。 座席に一人掛も出来る。 座席と座席の間に衣嚢を置いて身体全体を伸ばした。 その日の疲れもひどくすぐ眠ってしまった。

 夜中の12時過ぎふと目が覚めたとき、「名古屋、名古屋」 という駅の放送が耳に入って来た。 そして間もなく発車のベルが聞こえていたが後はまた眠ってしまった。 どこに行くのか皆目我々には判らないままであった。

 夜が明けた。 見える車窓外の景色は芋畠が続くだけであり、このあたりがどの辺であるか見当もつかない初めての地であった。

 それからいくらか時間が経って小高い丘の上に、花崗岩で出来た観音様の像の首から上の部分だけが見えてきた。 その観音様を真横に見て列車はしばらく停車していた。 駅名は判らないが20期の連中が 「おおふな」 だと言っていた。

 やがて再び列車は走りだした。 ここらの畠もやはり芋畠ばかりであった。 そして鎌倉、逗子と駅名が過ぎた。 どうも横須賀に向かっているらしかった。

 「次の駅で降りるぞ、下車準備」

 引卒の士官の命令がかかった。 停車時間が少ないので素早く降りてしまわなければならないため、列車の停車しない前から衣嚢を自分のすぐ横に立てて下車の用意をし、停車するのを待った。

 列車は停止し下車した。 プラットホームの柱に掲示してある駅名は 「たうら」 と書かれてあった。 駅の辺りを見回すと何と殺風景なところだと感じた。 改札口を出ると大きな倉庫と高い塀が自分達にのしかかって来るようなところであった。

 「この先には迫浜海軍航空隊があるんだ。」

 とこの辺りの地理に詳しい誰かの言うのが聞こえた。 私の心の中でそうか迫浜に行くのか、と憶測した。 追浜と鈴鹿の両航空隊は海軍航空廠がすぐ横にあるため、特攻兵器は航空機に関連あるものと推量したのであった。 しかし、迎えの車両等が全然来ていない。 変だなあと思った。

 すると引卒の士官が 「衣嚢を担げ」 と命じた。 肩に衣嚢を担ぎ、4列縦隊で行進した。 肩の衣嚢を二度ほど担ぎ変えるくらい行進したとき、列は止まった。 その目の前に青銅を鋳造して作った門標に 「海軍水雷学校」 と書かれてあった。 この学校に来たのである。

 魚雷だ、人間魚雷なのかと咄嗟に考えた。 出迎えは皆立派な海軍士官であった。 着くまで一向に判らなかった任地はこの水雷学校であった。

 我々はこの学校の学生舎に案内され、ひとまず学校内における簡単な規則などの説明を受け、あとは荷物類の片付けや整理を行なった。

 学生舎は海軍士官専用の建物であり、我々はこの学生舎の一部に居住することとなった。 そして特別訓練を受ける者は学校側の下士官兵と隔離するため烹炊所も学生舎内のものを使用した。

 まずここでの生活の中で予科練と違うことは、班長がいないこと、兵曹長が我々の世話をしてくれることであった。

 午後になって、これからの訓練等における指導官が紹介された。 藤川大尉、香西少尉ほか尉官3名、准士官4名であった。 ここで初めて、我々に特殊兵器なるものが発表されたのであった。
(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/40980333
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック