著 : 辰巳 保夫
三重空よ、さらば (承前)
午前の教務が終り、同僚達がどやどやと兵舎に帰って来た。
「お前が行くのか?」
「いつだ?」
「今日の夕方にはここを退隊するそうだ。」
こんなやりとりが幾度も続いた。
私も即日の退隊とあって忙しく身の回りの整理をした。 転属先など全然判らない。 我々の持物といっても別に引越しするほどの大荷物があるわけでもなく、衣嚢に自分の衣類を整頓よく入れるぐらいのことであった。
私の分隊から選ばれた者は11名であった。 予科練時代私は特に親しいという者はいなかった。 私はまた余り人から好かれるような人物でもなく、余り目立たない存在であり、自分なりにそう感じてもいた。
何しろ毎日が猛訓練であり、皆がゆっくりと寛ぎ団欒するというような余裕がなかった。 そのせいもあったであろう。 教育方針であったかも知れない。
とにかく朝起きて夜眠るまでほとんど駈足で兵舎から練兵場へ、練兵場から講堂へと広い敷地内を走って移動するのである。 当時そのハ−ドワークを物語るものは軍靴の踵であった。 軍靴の踵は大傾斜にすり減った。 その靴で走っていた。
余談であるが昭和19年になってからは靴を修理する半張りの皮がくじ引による分配制となり、なかなか修理をしたくともできない状態であった。 この時既にある程度日本軍隊には物資不足が深刻なことになりつつあった。
「散髪をしてやろう。」
「うん、有難う。」
日頃あまり話もしたことのない同僚までが声をかけてくれた。 嬉しい情景である。 散髪といっても当時は皆くるくる坊主の丸刈り頭であり、バリカン一つでことが済んだ。
隊内には理髪店はあったが、多人数の練習生向きではなく、我々は相互援助による練習生同志での方法をとっていた。 いつも仲の良い者同志でお互に頭を丸め、身も心もすっきりしたものだった。
今日は班員総がかりとは言えないが私にいろいろと気を使ってくれる。 4人ぐらいが交代しながら頭の毛を刈ってくれた。 バリカンが少々切れないこともあってか、それとも刈ってくれる同僚の気がはやるためか、時折り 「あ、痛え」 と声を出すほどの賑やかな光景もあった。 そこかしこで他の10名の者も頭の毛を刈ってもらっていた。
「これはひどいトラ刈りだ。」
「借せ、俺がやったる。」
隣りでも時折爆笑が起こっていた。 夏である。 暑い。 汗で身体がべっとりするので首の周りに刈られた毛が付く。 上半身は裸であり終ってからくっついた毛をバタバクと自分の手で払い落す者、なかにはタオルではたいてもらっている者もいた。
こうして、いつもより楽しそうな、また賑やかな散髪は終った。 長い間、このように生活を共に過ごしてきた皆である。 急に今日限りで別れるとあって 「惜別感」 は余計に強かった。 私は日頃あまり感じなかった班員の心の温かさがぐいと胸に刺さる思いであった。
この特別任務のため選ばれた者は乙種19期、20期生合わせて200名であった。 飛行予科練習生から特別攻撃隊員として特別任務のために選出されたのは、今回が始めてのことであり全く異例の出来事であった。
雄飛館で壮行会が行なわれた。 皆は未成年であったため酒こそは出なかったが、海の幸、山の幸で盛り沢山の料理が並べられた。 片手で掴めないほどの大きなオハギ、お頭付きの大きな鯛の塩焼、こんな豪勢な料理の並べられた膳の前に座ったことは今昔通じてもない。 それほどに色々の料理が、しかも若者が飛び付きそうな嗜好を凝らしたものが、一人一人の前に出されたのである。
司令のほか分隊長、分隊士はもちろんのこと、先任教員や同期生の代表者も同席することになり、豪華な壮行会となった。
司令が送別の辞を述べられる。
「君達の栄えある壮途を祝してここに壮行会を行なうことになった。 よくぞ決心してくれた。 君達のような軍人がいる限り必ずや日本軍は勝利を収めることと確信しておる。 ありがとう。 司令もこの航空隊にあって諸君達の教育の任を負ってきたが、こんなに誇らしく感じたことも初めてである。 大いに奮闘して大任を全うしてくれ。 私は海軍生活も長いが、このような諸君を送ることもまずなかった。 諸君の目の前にある料理は、当隊補給長が急な限られた時間の中にあって物資を集め、調理員全員が総力を上げて作ってくれたのである。 どうか心置きなく食べて下さい。 郷里のお袋さんが作ってくれたのだと思って・・・・。 三重空での食事もこれが最後となったが、苦しいときは必ず三重空での訓練のことを思い出してくれ・・・・。 最後に諸君の大成功を祈っております。」
と結ばれた。
若くて育ち盛り、食べ盛りの我々の胃袋も、さすが全部を平らげることはできなかった。
“雲出の川瀬月澄みて
太平洋の波寄する、神風伊勢の香良州浜
世紀の空をかけるべき
雄叫び挙ぐる高らかに
われらは空の少年兵”
最後に三重海軍航空隊の隊歌を歌いつつ会は解散となった。 苦しかった、長かった飛行予科練習生の生活がまさに終らんとしているのであった。 私達は下っ腹に力をいれ、腕をふり大きな声で隊歌を歌った。
(続く)