2010年09月25日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (4)

著 : 辰巳 保夫

 三重空よ、さらば

 9月3日であった。 午前8時にいつものように課業整列があり、午前2時限目の座学 (教室において行なう普通学などをいう) の時間であった。 数学 「三角解法」 の教務中であった。 かなり難しかった。

 「ある時刻に母艦を飛び立った偵察機が、数時間索敵行に出てその後母艦に帰艦する」 という問題で、三角で解くには自分達だけの力では少々苦労であった。 クラスの中で頭のいいのが1人2人、数学の教官と馴れあいになったような格好で教務が進んでいた。

 突然、私の分隊の猪原教員が教室の前のドアを開けて入ってきて、数学の教官と何やら話をしていたが、教員は皆の方に向かって 「辰巳練習生」 と私の名前を呼んだ。 私はすぐ 「はい」 と返事をした。 「今すぐ兵舎に帰って来て下さい」 と教員の口調は日頃の命令調の言葉遣いと全く変っていた。 私は教科書等を片付け、手提カバンに入れ唯一人教室から出た。

 特別任務を志願したのはつい3日前のことであった。 以外に早いので少々驚いた。 外はだれも歩いていない。 別に走ることもないのに自然に走った。

 兵舎に帰ると先任教員の持田班長から、「今晩三重空を退隊することになったので、今から退隊準備をしなさい」 と言い渡された。 豊田分隊士もそのあと私に同じようなことを言った。

 豊田兵曹長と私は、適性飛行も終わり操縦・偵察に別けられて以来1年以上我々の分隊士として務めてきた人であった。 特に私を可愛がってくれた人であり、私もまた彼を兄のように慕える人であった。

 時々分隊士に呼ばれ彼の私室において会話などをすることもあった。 彼はよく私に井村屋の生菓子などを振舞ってくれたものだ。

 分隊士は航海術を専攻し、志願兵から叩きあげられた優秀な海軍軍人であった。 手旗、発光及び旗りゅう信号と航海術の基礎術科を彼に教わったのである。 私はよく受信テストの採点の手伝いをさせられた。

 次のようなこともあった。 予科練では朝1時間、夜は2時間半余りの温習という別科時間があった。 時どき分隊士は練習生の学習状況を見回るために自習講堂に足を運んでこられた。 そして私の耳と、あと一人分隊士と同県の出身の油布という練習生の耳を後から来てよく引っ張ったものである。

 誰か教室の後側のドアから入って来た。 皆真剣に学習をしているので後を振り向いて見たりするような者は誰一人としていない。 また誰が入ってこようと我々にとって関係はなかった。

 だれか私の後に人が来たなと感じた、その途端、耳をぐいと引っ張られ耳がパリと鳴った。 「痛い」 だが皆の勉強の邪魔になるため声を出すわけにはゆかない。
 「保さん、やっとるかね。」

 と分隊士が耳元で小声で言う。 私と分隊士はそんな間柄であった。

 これで分隊士ともお別れである。 目と目が合った。 分隊士は両手を伸ばし私の肩を押さえるようにして軽く叩いた。 私は何だかばつが悪く、一瞬合った目を外さざるを得なかった。
(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/40925165
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック