2010年08月23日

「飛翔雲」 あとがき

著 : 高橋 定 (海兵61期)

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( 著者のありし日の勇姿 )

 あ と が き

 この記録は8年半の戦時中の日記を基にして、当時を回想しながら書いたものであるが、戦場での日記は小型のノートに個人用の暗号や略符を使って、戦場生活の雑事を書いたものが主で、戦争観や軍備論については、断片的で、感傷的なものばかり、記録としての価値は低いと思われたので、公式戦史と照合しながら、補足して書いた。

 しかし、結果的には、粗雑で無責任な放言的内容となり、時には前後の脈絡もなく、当時の戦争指導者や軍備の計画推進者に対して一方的な批判を加えたり、悪口雑言を述べたりした。

 考えてみると、私も戦争指導者の末席にいたこともあったわけで、こんな批判は、豆を豆がらで煮るようなもので、「相しゃ何太急」 ( 「しゃ」 は 「者」 の下に 「火」 ) (相にくむこと何んぞ太だ急なる) の謗りを受けざるを得ない。 われながら笑止の沙汰で、恥ずかしいことであったと思う。

 ともあれ、戦争は凄惨極まりないものであった。 絶対にやってはならないし、仕掛けられないようにしなければならない。 そのためには日本は正義の主張を繰り返すことが第一であろう。

 形ばかりの巨大な軍備を備えて、その内容は硬直した老人のような体質を持ちながら、額面ばかりに捉われて自信過剰となり、相手の出方に乗せられることが最も恐ろしいと思う。

 この点が将来の軍備の核心であり、日本の安全保障を考える場合の注意すべきことではあるまいか?

 若い人達にこの点だけでも理解してもらえば、この記録の価値はあると思っている。


    昭和53年1月15目
                           高 橋  定

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 高橋 定 氏  経歴

    昭和 5年 4月   海軍兵学校入校 (第61期)
        8年11月   同 卒業
        9年 7月   巡洋艦 「加古」 乗組
           10月   術科講習水雷
           12月   同     通信
       10年 1月   同     航空
            3月   同     砲術
            4月   任海軍少尉、 巡洋艦 「多摩」 乗組
           11月   飛行学生
       11年12月   任海軍中尉、 大村航空隊
       12年 4月   佐伯航空隊
            7月   第十二航空隊
           12月   任海軍大尉、 霞浦航空隊教官 
       13年12月   空母 「龍驤」 分隊長
       14年11月   第十四航空隊分隊長
       15年12月   筑波航空隊分隊長
       17年 2月   第三十一航空隊飛行長
            6月   空母 「瑞鶴」 飛行隊長
       18年 8月   横須賀航空隊飛行隊長兼教官
           11月   任海軍少佐
       20年 7月   第三十二航空戦隊参謀

(注) : 著者の戦後の経歴については割愛させていただきます

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