2010年08月22日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その36

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その3 ザンボアンガ (6)

 市の中心部は、鉄筋コンクリートの3階の倉庫を改造した市庁と、同じく平屋の古びた暗い倉庫を改造した商店、事務所、住宅が櫛比していた。 大きい鉄骨の柱と高い塀に囲まれた庭から、ココ椰子が熟した実をつけて街路の上に垂れ、5米以上もあるバナナの巨大な葉も塀の外まで伸びて海風に揺れていた。 町の中央に広場があって、栴檀の木が亭々と聳えていたので、その木蔭で暫く休んだ。

 商店街に入ると、商品は中国産の綿製品と日本産の電気製品、装身具、化学繊維の衣類及び地元の民芸品が陳列され、民芸品売場に外人客が5、6人並んでいた。 映画館が2、3軒あって、この国のポルノ映画と日本の 「やくざもの」 がかかっていた。

 日没が近づいて来たので、タクシーを拾って、東の郊外にあるスペインの古城址に向かった。 町の中心を出外れて百米も往くと、道路は広い砂利道に変わる。

 城郭は長八角形で、高さが20米もある石積みの城壁に囲まれてセレベス海を睥睨 (へいげい) していたが、背後の広場は女学校になっていて、高校生らしい娘達が、ひだの多いロングスカートと純白のブラウスで家路を急いでいた。 昔の日本の高校生のセーラー服姿で、顔形も背丈も全く同じであった。

 暮れ行く四囲の眺めも日本の瀬戸内海沿岸の故山と同じだし、私は異国の果てにいることも戒厳令下の街にいることもすっかり忘れ、薄墨色に溶けていくバシラン島を眺めながら城壁の側に佇んでいた。


 やがて空港長達との会食の時間も近づいたので、再びタクシーに乗って町の西の郊外へ向かった。 東の果てから西の果てまで約5粁であった。

 会食の場所は、海岸埠頭の露天の一区画であった。 手を伸ばせば海水が掬 (すく) える所に簡単な椅子とテーブルが4セット置いてあって、灯りは 「百匁ローソク」 (重さ4百グラム、蝋の質は茶色、芯は植物の皮) が各テーブルに一本ずつ立てられていた。 星の光も明るかった。

 料理は金串に刺した豚と猪の肉を、椰子の木をちょうなで削った炭で焼いて塩味をつけた超弩級のやきとりと、潮風で冷したビールで、戦争中にこの地で食べた料理と全く同じであった。 時々高い波が埠頭のコンクリートに当り、しぶきがテーブルにかかってやきとりの塩加減を変えた。

 空港長は東京の華やかな文化生活の様子を聞きたがったが、私は、四国の古里の囲炉裏端で栗やトウモロコシを食べた時の話をした。 私に 「My Papa」 と言ったタイピストの話が出たので、

 「あんなに奇麗なお嬢さんが私の娘であったらどんなに嬉しいだろう。 残念ながら私の娘にしては若過ぎる。」

 と言うと、空港長が真面目な顔で、

 「あの娘は30才になっている。」

 と言ったので皆は笑ったが、本当にそうなら、余生をこの国で過ごしてもいいと真剣に考えた。

 8時頃会食を終え、私は皆を連れて空港の近くにあるダンスホールへ行った。 戒巌令下であったが、そこはこの国の青年達で一杯であった。 広いホールに、50組以上の若者が踊っていた。 10分も踊っていると、突然スピーカーが、

 「Japanese Navy の Admiral TAKAHASHI 一行が訪れているので閉店を11時にする。」

 と言う。 迷惑な歓迎ぶりであったが、この国の慣例もある。 マネージャーに、

 「彼は皆さんにビールを寄贈して先刻帰った。」

 と言わせて、100ペソ (約5千円、但しこの国の人々には、日本国内での6万くらいの価値感覚になる) を寄贈した。 そして、飲んで若い娘とワルツを踊った。

 酔いを発して彼女の爪先を何回も踏んだが、彼女は怒りもしないし、テーブルに帰ると懸命になって椰子の葉の扇で私に風を送り、蒸しタオルで汗を拭ってくれた。 田舎から出て来たばかりの娘らしく、戦前の日本の、虐げられた場末のダンサー達の中にもこんな女性がいたことが想い出されて哀れであった。

 10時になったので一人でホールを出た。 外は暗黒の世界であった。 タクシーに乗ると、豆ランプに赤布を被せて、ヘッドライトの代用だ。 それで悪路をフルスピードで町に向かって走った。 暗黒の中から銃弾が飛んでくるのを恐れるかのようにドライバーは緊張していた。 戒厳令下のこの国の人々は、斯うあるべきだと思った。

 南十字星がそろそろ見え始める頃、LANTAKA Hotel に帰り着いた。

 僅か一週間ほどの旅行であったが、戦争中の想い出の地は殆ど回わることができた。 この国で過ごした短い青春時代も、激しい時代の流れによって、遠い彼方に去ってしまった現実に、ホッとする想いと寂しさが交錯するのであった。
(第6章終わり)
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