2010年08月19日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その33

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その3 ザンボアンガ (3)

 ホテルの外は直ぐ海岸であるが、この町の海岸は約3粁に亘ってコンクリートの埠頭になっていて防波壁はついていない。 この埠頭に沿って歩くと、大型のカヌーが漕ぎ寄って来て民芸品を見せて買ってくれと言う。 立ち止まると、10才ばかりの子供が海底に潜ってあわびを採って見せる。

 これらの海上生活者達には、戒厳令は関係はなかった。 沖合を見ると、3千米くらいの所にソ連の測量船が錨泊し、その2、3千米東寄りにアメリカの商船らしい巨船が入港中であった。 今からこの両船は冷たい戦争を始めるのであろう。

 1粁ばかり埠頭に沿って歩くと、2百米平方もあるコンクリートの広場がった。 そこでは夕べの市場が立って、野菜、果物、肉、魚貝類が、露台や地面に山のように盛り上げられ物々交換が行なわれていた。

 大群集で足の踏み場もない程の雑踏であったが、どの顔にも戒厳令下の暗い影はなく、一人の警官も軍人も見当らなかった。 戦闘が続いても物々交換だから物価に関係なく、市場が興奮することもないからであろう。

 あまり暑いので、冷たいビールでも飲もうと思って市場の近くの汚ない飯店に入った。 すると、奥から50才前後のマダムが出て来て私を見て血相を変え、

 「今、ホロ島で2百人が空軍機の攻撃によって殺された。」

 と言って私を睨みつけた。 そして、

 「お前は支那人だろう?」

 と言う。

 「日本人だ。」

 と答えると、マダムは顔色を柔らげて (中国人は反乱軍に非協力的であるらしい)、

 「日本との戦争では、私達の仲間は5人死んだだけでした。」

 と言った。

 「あなたはホロ島の生まれですか?」

 と聞くと、

 「そうです。」

 「お気の毒に、奥さん。」

 と言うと、彼女は、

 「死んだ2百人の中には私の息子と甥がいるのです。 これからも、沢山の私の縁者が殺されるでしょう。」

 と言って、ポロポロ涙を流した。 私は大変な店へ飛び込んだのであった。

 奥行の深い店であったが、私の他には誰もいない。 やがて彼女は、崩れるように木の椅子に腰を落として放心したように私を見つめた。 それは息子を失った母親の顔であった。

 店の外では雑踏が渦を巻いていたが、店の中は海底のように薄暗く静かであった。 私は、このマダムは30年前の独立党の青年の女房であるかも知れないと思いながら、当時のことを回想するのであった。
(続く)
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