2010年08月17日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その31

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その3 ザンボアンガ (1)

 翌2月22日1100、セブ市を発って ZAMBOANGA 市に向かった。 この町はミンダナオ島の西端にあって、マニラから南南西へ450浬、セブから南西へ250浬、スル海峡を挟んでインドネシャのボルネオ島の東北端と約2百浬離れて東西に向かい合っている。

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( 原著より )

 この町は、先史時代以来、マライポルネシャ語族がこの国へ移動して来た時の表玄関であったが、その当時から現代までの経過を回想してみよう。

 洪積世の時代には、この国の国土は大陸と接続していたので、アジア大陸から人類が動物を追ってこの国に移動して来た。

 洪積世末 (1万3千年前頃) になって、この国に地殻変動が起こり、大地の陥没、噴火、洪水が2、3千年間続いて現在の地勢に安定したが、この地殻変動によって大陸から移動していた人類がこの地に残留したか、大陸に帰ったか、日本列島の場合と同じようによく解っていない。

 大噴火によって天日暗く、草木と小動物が殆ど死滅した大地にも、僅かの人類が僅かの海の幸を採って生きていたと考えても間違いとは言えないからだ。

 沖積世 (1万年前より現代まで) に入ってからこの国には洪水が続いたが、この頃から人類が住むための好条件が段々と整ってきた。

 その頃、ボルネオ島とフィリピン群島との間に現在のスル海峡の ARCHIPERAGO ができて、ボルネオの東北端と ZAMBOANGA は、タウイタウイ島、ホロ島、バシラン島、約270の小島及び無数の無人岩礁で連なっていたが、これらの島々を飛び石にして、ジャバ、スマトラ、ボルネオ、マライ半島に本拠を持っていたマライポルネシャ語族が北上を始め、 ZAMBOANGA に辿り着き、ここを起点にしてフィリピンの11の主島と約3千の離島へ散って行った。

 これらの人々は、約8千年に亘ってこの群島の各地で部族小国家を造り、それぞれが独立して15世紀まで平和で原始的な生活を続けた。

 15世紀に入ると、回教文化を持った部族が同じ経路でこの国へ入って来て、ミンダナオ島の西部から更にネグロス島、パナイ島、ミンドロ島を飛び石にしてマニラ周辺部まで北上した。

 16世紀になると、スペイン人によるキリスト教文化が南太平洋を経由してセブ島に上陸し、続いてフィリピンの11の主島に侵入してこれらの小国家群を統合していった。

 1898年、アメリカがスペインに代り50年間同じ経過を辿った。

 1947年になって、この国の人々は初めて完全な統一国家を造り独立することができたのであった。 しかし、その統一はキリスト教文化を中核とした統一であった。

 現在、キリスト教徒約2千万、非キリスト教徒約2百万であるが、この2百万の非キリスト教徒の内約50万の回教徒が、ホロ島、タウイタウイ島、ミンダナオ島の辺地等に割拠して政府に反抗している。

 政府はこれに対し、47年9月から戒厳令を布いているが、49年にホロ島の部族は遂に武装蜂起し、49年2月21日、空軍が出動して本格的戦闘が始まった。 そのホロ島は、この町の南西約50浬、日本の淡路島より少し大きい島である。

 私達が ZAMBOANGA に着いたのは49年2月22日の1145であるから、動乱の12時間後であった。
(続く)
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