2010年08月15日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その29

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その2 セブ島 (14)

 翌2月21日午前、セブ空港長の案内で、セブ市の LAHUG 飛行場を見学した。 この飛行場は、フィリピンの民間パイロットの Basic Training Center になっている。

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( LAHUG 飛行場跡一帯は現在では IT PARK となって完全に再開発されており、当時を偲ばせるものは何も無いようです。 メインストリートが滑走路跡かとも思いますが、詳細は判りません。   Google Earth より )

 ここはセブ市の中心街から北へ約3粁の高台にある。 敷地の総面積は約20万坪、長さ千2百米、巾30米の簡易舗装のランウェイ、5百米、3百米の短形の芝生のパーキングエイリヤ、そこから北側の山手に向かってきつい勾配のある長さ5百米くらいの引込線、そのエンドに雨露を凌ぐだけの小さい格納庫が3棟、万力と板金台のある工作所が1棟、そしてセスナ、パイパー、チェロキー、エアロカマンダー等約20機が散在していた。 時には、YS11が格納されることもあるという。

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( 原著より  タワーから見た格納庫 )

 タワーは高さは約20米、60度くらいの急勾配の狭い雨曝しの階段の上に1坪ほどの小部屋があって、一組のVHFとマクタン国際空港と直通の有線電話が2台あった。 管制は 「マクタン国際」 が直接行なっていたが、VFRの Local Training だけはこのタワーで行なっていた。 訓練空域はセブ島北方海上50浬の半円形で、高度2千米以下となっていた。

 タワーに登って南東を見ると、昔、私達が離着陸に使っていた広い芝生地帯には雑草が生い茂り、雑草の中にランウェイが一本南北に走っていた。 ランウェイの彼方の低地には新しい十数軒の農家の屋根が見え、その昔豊かな枝を拡げて芝生に涼しい木影を落としていたマンゴーやココ椰子の木は切り倒され、一面のトウモロコシの畑になっていた。

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( 原著より  セブ LAHUG 飛行場 )

 タワーの直下附近にあったと記憶する特攻隊員の隊舎は跡型もなく取り払われて広場になり、丁度この時、操縦訓練生が日本のラジオ体操をやっていた。

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( 原著より  タワー下の訓練生達 )

 北方の山手側を見ると、標高約千米の山の中腹にあったセブ刑務所は無くなって、その跡に別荘風の赤煉瓦の建物が二、三軒建っていた。

 昭和17年4月下旬、スル海峡の哨戒に行ったパイロットが不時着水して、敗残ゲリラの捕虜となりその刑務所に収容されたので、私は陸戦隊を編成して正門近くまで攻め登り、そのパイロットを奪回したことがあったが (注)、刑務所の消滅とともにその事件が架空の夢のように思われるのであった。

(注) : 第3章 「世界戦争時代」 の第1話 「捕虜とその死」 で詳述されていますのでご参照ください。


 有為転変は世の常とは言え、あまりの変わりように呆れるばかり、思わず私は空港長を振り返って、

 「何もかも取りつぶしてしまっているっ! これでいいものかなあ!」

 と半ば独り言、半ば不平を言うと、彼は、

 「そうかなあ! 私には、変わらないものがそこら辺りに一杯あるので、もどかしく思っていたところだ。」

 と言った。 急速な変革は玉石を併せて棄ててしまうのではあるまいか。 私はこの国の歴史的遺産については深くを知らないが、この基地の周辺にも残すべきものがあったに違いない。 それを訴えたかったが、彼にとって、過去とは忌まわしい戦争の歴史だけかも知れないと思うと、それ以上質問する気になれなかった。

 タワーの上の気温は25、6度であったが、ランウェイには陽炎が燃えて炎熱の一日が始まろうとしていた。

 11時頃 LAHUG を発って、マクタン国際空港に向かった。
(続く)
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