2010年08月11日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その25

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その2 セブ島 (10)

 ところで、月日は少し遡るが、私達がセブ島に進出する前の3月下旬の或る夕べであった。 単調な哨戒作戦を終えてマニラ市の海岸通りのキャバレーへ飲みに行くと、MOLE という混血娘が私達のサービスに現われた。

 後で解ったが、彼女は開戦までマニラ市のストーンブリッジを北に渡った中華街の小さな料理店で働いていた娘で、17年1月2日、日本軍がマニラに入城すると、海岸通りのキャバレーで働くようになったのであった。

 ところが、4月17日に私達がセブ島に進出した直後の或る夕方、私はセブ市のバーで MOLE に会ったのである。

 その時の彼女の説明によると、4月初旬彼女はマニラ市から生まれ故郷のセブ市に帰り (マニラ、セブ間は直距離320浬、ルソン、サマール、レイテ、セブの島々経由で約4百浬)、運悪く4月10日の早朝、日本陸軍の上陸に遭って、着のみ着のままで裏山に逃げ、山の中腹にある刑務所に逃げ込んだ。 そこで彼女は独立党の青年達に遭い、彼らに口説かれて独立党員になったという。

 そして独立党の指令によって、日本海軍が設営したセブ市内のバーに勤めるようになり、私に再会したというのであった。 こんな話の真偽はともかくとして、私はこの時、彼女はスパイだろうと思ったが、敵国に駐留すれば、こんな女は沢山いると思って、気にもとめなかった。

 ところが、私達がセブ島で哨戒作戦を実施中のことだ。 或る夕べ、セブ市の中華街で夕食をしての帰り途、暗い街角で小走りに急いでいる MOLE に会った。

 そこは若い娘が一人歩きをする場所ではなかったので、私は彼女をバーまで連れて行こうとすると、彼女は先に立って私を案内し始めた。 そして、中華街の裏通りの暗い倉庫のような飯店に入った。 暫くすると一人の老人が現われ、彼女はその老人に代って私に次のように訴えたのであった。

 この老人の部落の人達は、自分達で作った農作物を日本陸軍に売って軍票を手に入れたが、陸軍からは買うものが何もない。 隣の部落に頼んでもその軍票では必要な物が買えない。 この老人の部落民は今困り果てている。 ついては海軍から薬品と衣類を買ってもらえないかと言うのだ。

 私は SANPEDRO の海軍補給所に連絡して、薬品と衣類を買ってやったが、その代償として、数日後にその部落の宗教行事に招待され御馳走になった。

 この時はそれだけであったが、その数日後の或る日、MOLE が南部のフィリピン料理を御馳走したいと言うのでセブ市の中国人街に行くと、そこで一人の青年に会った。 その青年は22、3の温和しそうなビサヤン人で、日本に5年ばかり住んでいた友人を知っていると言って、京都の話をしたりした。

 更に2、3日経ってから、MOLE の丘の家へ招待され、4、5人の青年に会った。 彼らはフィリピン南部の部落民に対する政府の苛斂誅求 (かれんちゅうきゅう) 振りと民衆の貧困を語り、何とかして独立したいと訴え、私に相談に乗ってくれと言うのであった。 そして、MOLE の勧めるウイスキーに酔って、彼らと友情を誓ったのであった。

 彼らがフィリピン独立党のセブ地区の青年幹部達であったのである。 MOLE もずっと以前から党員であったことは確実であった。
(続く)
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