2010年08月09日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その23

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その2 セブ島 (8)

 スコールは約30分で終って、雨雲は西に去り爽やかな快晴になったので、朝の散歩をすることにして、午前6時頃ホテルを出た。

 玄関前のロータリーには大きいワシントン椰子が軒下まで葉を拡げ、ロータリーと街道の間にはハイビスカスとブーゲンビリヤの生垣があって、ココ椰子とタコの木がその上を覆っていた。 大気は緑色に染まり、しっとりと肌を包んだ。

 生垣のゲイトをくぐって街道に出ると、夾竹桃の並木が先刻のスコールに洗われて紫の葉が鮮かであった。 左に行けばダウンタウン、右に曲れば LAHUG の飛行場だ。 私は道を右に選んだ。

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(原著より)

 路面は石炭がらを固めて舗装してあるが、歩道は砂利道だ。 早朝の故か車は一台も見当らない。 歩道の奥深く中級住宅があって、その裏にゴルフ場が見えた。 ここらあたりは、30前年にはタロイモとトウモロコシの痩せた畑で、その真中を飛行場からセブ市のダウンタウンに通ずる狭い砂利道が走っていた。

 当時、私はその道を隊員達と一緒にトラックに乗ってダウンタウンへ飲みに行った。 また19年9月、零戦特攻部隊が埠頭近くの海面で反跳爆撃訓練をやった時には、私は SANPEDRO の城壁の上に坐って、各機の成績を記録したのであったが、飛行場の城壁との往復は39年型のナッシュのスポーツカーで、帰り途にはここらあたりのマンゴーの木蔭で記録を整理してから飛行場に帰るのが常であった。

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( 原著より   左 : SANPEDRO 砦  右 : 32年前に反跳爆撃
   訓練の成績を記録した場所 (左写真の白点線枠) に座る著者 )

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(原著より)

 そのマンゴーの木と砂利道は影も形もなくなって、新しい街道筋には想い出の糸を手繰るきっかけもなかったが、網膜に残っていた一つの記憶だけはどうにか探し当てることができた。 それは飛行場の南西端から、千米ばかり西方の、高さ30米くらいの丘であった。

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( 原著より  飛行場から見た MOLE の丘 )

 当時、その丘はタコの木や羊歯に覆われ、日本の農村の鎮守の森のようであったが、それが今もこんもりと盛り上がっているのであった。 その丘を、私達は 「MOLE の丘」 (注) と呼んでいた。 その丘の麓には竹と茅で葺いた20坪ばかりの平家があって、庭には一本のマンゴーの大木とバナナが群生していた。

(注) : 現在ではセブ市は開発が進んでしまっており、衛星写真などでも本項で出てくる丘は判らなくなってしまっています。


 私は街道を外れてその丘に向かって歩き始めた。 曲りくねった田圃道には雑草が生い繁っていたが、路傍の石にも僅かな想い出が残っており、歩いているうちに次々に記憶が蘇ってくるのであった。

 それは、昭和17年4月から終戦まで、フィリピン南部の社会革命を目ざして活躍した 「フィリピン独立党」 の青年党員達との交友の数々であるが、私は今30数年の歳月を忘れ、昔のままの青年達に遭うために MOLE の丘に向かって道を急いでいるような錯覚に陥るのであった。
(続く)
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