2010年08月08日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その22

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その2 セブ島 (7)

 2月20日、セブ市の山手にあるマゼランホテルに泊った。 南東に面した窓辺から、市内や対岸のマクタン島が一目で見える豪華な部屋であった。

 翌朝4時頃、テラスを叩く激しい雨の音に目を醒まされ、カーテンを開いてみると、物凄いスコールで、ホテルの庭のココ椰子とラワンの大木が水柱に包まれ、バナナや羊歯類は飛沫の中に沈み、芝生の上を川が流れていた。

 全市がサウナ風呂の中でシャワーを浴びているのだ。それは、天地の神々が朝の大掃除をしているようであった。

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( 1944年版の米軍地図より )

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( 上と同じ範囲の現在のセブ市  Google Earth より )

 セブ市は、マニラ市に次ぐフィリピン第二の都市で人口約60万、セブ島の略中央南東岸にある商港である。 港には、一万噸級の商船が繋留できる3つの埠頭がある。

 埠頭から南東を見ると、約5千米の所にマクタン島という洗濯板を浮かべたような島があって、島の岸辺にはココ椰子が行儀よく並んでいる。 東を見ると、この島とセブ島が約千米の水路を挟んで接近し、水路の上にはアーチ型の橋が架かり、下には渡し舟が走っていた。 南西だけが扇形に開いて、ボホール島が2、30浬の彼方に浮かんでいる。

 港域は3粁平方くらいで広くはない。 水深は15米乃至30米、底質は砂岩、ブイが7、8個入れてある (あまり使っていないという)。 南東の恒風に対してマクタン島が自然の防波堤になっているし、水深は錨泊に適当だから中級の良港と言えるだろう。

 この町はもともと16世紀の後半に建設された古い商港で、指導者はマゼランである。 当時の面影としては、埠頭を見降ろす所に古城 Fort. SANPEDRO がある。 現在はこの城址に接して、市庁、貿易商杜、銀行、倉庫、レストラン等がある。 丁度日本の城下町と同じで、この要塞を中心にこの町は4百年の歴史を展開してきた。

 この中心街の西側には漁港があって、小さい商家が櫛の歯のように並び、近くに魚河岸と市場がある。 華僑が多くて活気に溢れている。 北側の山の手寄りには、学校、スポーツ施設、公園、中級の住宅、ホテル、キャバレー等があるが、この区域は戦後に発展した所で、広くて到る所に空地があるし、木が多くて静かで明るい。

 この町の産業は、ビールと砂糖、煙草、麻、トウモロコシ等農産物の加工が主なもので、家内工業が多い。 市の経済を支えているのは、アメリカ、日本、香港、シンがポール、ボルネオ、ベトナムとの貿易であるが、最近は観光事業にも力を注ぎ、マクタン島に国際空港を開いて外人客の誘致に努めている。

 Hotel MAGELLAN もそのような客を迎えるために建てられたもので、フィリピン人はあまり利用していない。 このホテルは港から北へ約2粁離れた山手寄りにあるが、ここから更に東北へ約2粁の所に、CEBU LAHUG 飛行場がある。

 この飛行場は、昭和17年4月から20年3月までの3年間、日本海軍が利用した小型機の基地 (特攻機を含む) で、私は17年4月から3か月半、及び19年9月に約半月をここで過ごした。 もとはゴルフ場であって、私達がそこへ処女着陸したのであった。
(続く)
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