2010年07月22日

「飛翔雲」 第6章 戦場回想 −その11

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 その1 ルソン島 (7)

 二日目の2月18日の午後、フィリピンのATCC (Air Traffic Control Center) を見学訪問した。 そこは、マニラ国際空港ニコルスフィールドの北側約2粁の所にあった。

 その施設は、約2万平方米の砂地の上に建坪1万平方米くらいの4階建ての白いビルと、約50米の灰色の鉄塔の上にパラボラアンテナがあるばかりであったが、中味は一日に2千のフライトプランを受理し、マニラ FIR (Flight Information Region) のトラフィックサービスをコンピューターで処理できるというものであった。

 20ばかりの各部屋には電子機器がぎっしりと詰まり、日本の若い技術者が最後の調整をやっていた。 総ての装備は、日本の企業が請け負って造り上げたものであった。

 ところで、このATCCのある敷地は、昭和17年2月頃には第三十一航空隊の兵舎の北側からマニラ市の南郊外にかけて拡がる低湿地帯の一部であった。 そこには数千本のバナナが密生していたので、私達は、ここをバナナのジャングルと呼んでいた。

 今そのジャングルが白亜のビルに変わり、コンピューターが無人のキーを叩いているのだ。

 戸惑いを覚えながら、幾度もビルの窓からバナナの森を捜したが、目に入ったものは、炎天下に喘ぐ車の列と安普請の商店街のケバケバしい横文字の看板と、その裏にドブの溜ったクリークがあって、毀れかかったニッパハウスの窓枠にボロ布のような女の子の下着が乾してあるだけであった。

 その当時は殆ど見かけなかった KARAMANSHI (日本ではスダチと言い、徳島にしか育たない) とポインセチアが、クリークの土手に咲いていた。

 32年の歳月の歩みは、「滄海変じて桑田となる」 という言葉のとおりで、ただ無常という外はなかった。

 あの頃は、薄緑の柔らかいバナナの葉が爽やかにマニラ湾の海風に揺れていたのに! 赤ちゃんの手のようなバナナの実が灼熱の大地に潤いを添えていたのに! それはどこに消えてしまったのであろうか?

 見学なんか上の空で、32年前の昔のことが想い出されてならなかった。
(続く)
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