
( 元画像 : Google Map より )
(1) 陸軍兵器支廠兵器庫 (現 「県立歴史博物館」 )
県立美術館の隣りに、「藩老本多蔵品館」 というのを挟んで赤煉瓦の建物が3棟建っています。

( 「藩老本多蔵品館」 は訪れておりませんので、公式サイト ↓ をご覧下さい )
ここが旧陸軍の 「金澤陸軍兵器支廠兵器庫」 だったもので、戦後は金沢美術工芸大学の校舎となり、その後昭和61年から 「県立歴史博物館」 となっています。 また、平成2年には重要文化財に指定されています。


( 奥のガラス張りの渡り廊下中央部が入口受付 )
現在ここには第5〜第7の3つの兵器庫が残されています。








現在の 「県立歴史博物館」 については、次の公式サイトをご覧下さい。
入館料は通常250円なんですが、特別展がある時は別で、私が訪れた時はその特別展が開催されており入館料750円。
したがって、平日ではありましたが、来館者は限りなく 「0」 に近い様子でした。 当然私もパス (^_^; 折角の施設なんですから、もう少し運営の工夫が必要なように思いましたね。 せめて通常料金で常設展示だけでも見られるようにするとか ・・・・
(2) 金沢偕行社と第九師団司令部庁舎
「金沢偕行社」 は明治31年に大手町に建てられましたが、明治42年になって現在地に移転したものです。

大変に技巧を凝らした豪華な造りで、昔の陸軍将校の社交場としての華やかさが偲ばれます。


戦後はつい最近まで 「県庁石引分室」 として使用されていましたが、現在では全く使われていないようで、私が訪れた時も無人で鍵が掛かっていました。
そしてこの偕行社の建物の左隣りにあるのが 「第九師団司令部庁舎」 です。 偕行社に比べると大変に質素です。

第九師団司令部は本来は金沢城の二の丸跡に置かれており、この庁舎は明治31年にそこに建てられたものとされています。 戦後の昭和43年になってから二の丸跡から現在地へ移築されましたが、この時に建物の両翼が約半分に切り詰められました。 如何に敷地の関係とはいえ、大変に勿体なく、何とかならなかったものかと思います。
( ここを訪れている時に丁度雨が土砂降りとなりまして、軒先で一時雨宿り。 結局写真はほとんど撮れずじまいに )
なお、この敷地には旧偕行社の右側に隣接して、昭和47年に 「県立能楽堂」 が元の広坂通りから移設されています。
(3) 第九師団長官舎
この 「第九師団長官舎」 は大正11年に現在地に建てられましたが、広坂交差点から坂道を少し登った右手の林の中にポツンとあり、大変に素晴らしい環境にあったことが窺われます。

玄関に車寄せのある、石造一部木造の平屋造りで、一見軽井沢などにある豪華別荘かと思わせるようなモダンな建物です。




戦後は石川県のものとなり、最近まで兼六園付属の 「広坂休憩館」 として一般に開放されていましたが、知名度が低いためかほとんど利用が無かったようです。
現在では隣接する 「県立美術館広坂別館」 の付属施設として活用が図られているようで、私が訪れた時には小学生の絵画教室が開かれていました。
建物の中はかなり当時のまま残されているようですが ・・・・
(4) 石川護国神社
旧軍施設ではありませんが、ついでにここでご紹介を。 偕行社敷地と本多の森ホールとの間にあり、偕行社敷地の脇に入口の大鳥居があります。

その大鳥居を潜った先の右手に御社がデーンと見えます。

戊申の役での加賀藩の戦死者を祀って卯辰山に 「招魂社」 を建立したのが始まりとされています。 昭和10年に小立野練兵場であった現在地に移され、14年に 「石川護国神社」 と改められました。 以後今次大戦までの石川県戦死者を祀った他、第九師団管轄下の他県の戦死者も祀られているそうです。

境内にはこういうものもあります。


またここは、例年7月に行われる 「万灯みたままつり」 での境内一杯に飾られる行燈が、大変幻想的な雰囲気だと聞いています。