著 : 高橋 定 (海兵61期)
第4話 航空母艦と航空事故 (11)
その4 母艦機の事故 (承前)
以下述べることが、第二次大戦中の第2回目の片道攻撃である。
第一回目が、ミッドウェイ作戦中に片翼の燃料タンクが敵弾によって破壊されているのを承知の上で、部下艦攻10機を率いて攻撃に向かい、雷撃後敵の母艦の舷側に体当りをした友永丈市大尉 (既出、59期) であり、第二回目が、この時の石丸大尉の率いる9機による攻撃である。 その経過は次のとおりだ。
石丸中隊9機が私の反転帰投の命令を受けて変針を始めた時、彼は水平線上に何物かを認めた。 それは一瞬のうちに消えた。 雲か煙か艦影か、確認する余裕はなかったが、確かに何物かが網膜に写った。
それは、長らく洋上を行動したことのあるパイロットだけが捉え得るものであって、特に、眼球を左右に動かした時や飛行機が変針する時などに鋭敏に感知する勘である。 それは凝視すると消えるが、決して幻影ではない。
彼は、それを敵に間違いないと思った。 しかし、直ちに 「敵発見!」 と私に報告するわけにはいかなかった。 もし、敵発見と報告して全機が三度目の反転をして全力上昇に移ったら、十数分で全機母艦に帰る燃料が不足する。
そこで、彼はもう少し近寄って確かめようと思った。 そして針路を南西にとって、10分ばかり飛んだ。 しかし、目標を確認することはできなかったので、止むなく帰投針路につこうとした。
ところが、その時彼は再び何物かを見たのであった。 彼はもう迷わなかった。 しかし、指揮官以下45機は既に遠くに去っている。 彼は、自分達9機だけで攻撃しようと決心した。 そして、私に何も告げずに反転して、彼の信ずる敵艦に向かって進撃を開始した。
一方私は、彼の中隊が見えないと偵察員から聞いた時、彼は前続機の着艦所要時間だけ索敵を続けるつもりだろうと思った。 それは20分間だ。 深入りしないようにと心配したのであった。
さて、彼は南西に向かって飛んだ。 10分! 20分! しかし、先刻見た敵の艦影は再び網膜に写らなかった。 やがて、前面に幾条かの竜巻を見た。 竜巻の彼方はスコールであった。
スコールの中に敵がいるような予感がしたので、それに向かって突進した。 30分が瞬く間に過ぎ、もはや帰る燃料がなくなったので、最後の望みを托してスコールの中に突入した。 しかし、そこにも敵はいなかった。
スコールを出ると、そこには広漠たるソロモン海があるばかりであった。 彼は9機の列機を振り返った時、涙が溢れた。 敵はどこにもいない。 帰る所もない。 しかし、行くべき方向は母艦 「瑞鶴」 の方向しかなかった。 孤独と悔恨にさいなまれながら、燃料の続く限り飛ぼうと思った。

( 原著より この日追い求めて遂に会敵できなかった敵機動部隊
我方の索敵機に発見され速度を上げて陣形変換中の当日の記録写真 )
以後の彼の行動については、彼の奇跡的な生還後の報告と、艦長の言葉を紹介することにしよう。
「隊長が帰投針路に反転された時、私は南西の一角に敵を見たのです。 それは決して幻影ではありません。 そればかりは信じて下さい。 ところが、それに向かって進撃しているうちに、その艦影は忽然として消えてしまいました。
スコールに遮られたのだと思ったのでスコールの中を探しました。 しかし、そこにも敵はいませんでした。 万策尽きた時、部下の9機の搭乗員の生命だけは救おうと思いました。
その時、野元艦長 (既出、為輝、44期) の顔が眼前に浮かびました。 私が今から帰投すると言えば、野元艦長は私達を迎えに来てくれると思ったのです。 迎えに来てくれなければどうなるか? その時はどうしようか? と考えるよりも、艦長を信じたのです。 隊長! 私を許して下さい ・・・・ 」
彼の言葉は涙に途絶えた。 私は言うべき言葉がなかった。 その翌日、艦長は私達の前で、
「石丸大尉は敵中深く突入した。 これを救わなければ艦長ではない。」
ただこれだけ言われた。 野元艦長は豪直の人であった。 石丸大尉の帰投燃料1時間半という電報を受けた時、艦長は数隻の駆逐艦を連れて全速で敵に向かって進撃した。 それは、「瑞鶴」 の運命、ひいては日本の運命を傾けるような危険性を孕んでいたが、艦長は、身を挺して突撃している部下を救わずにはいられなかったのだ。
この愛情と勇気が、石丸大尉以下9機の搭乗員の生命を救ったのである。 9機の内6機が着艦に成功し、3機が駆逐艦の傍に着水して拾われた。 戦果こそ無かったが、その心情に於て、友永大尉の片道攻撃と変わるところはなかったのである。
(続く)