著 : 高橋 定 (海兵61期)
第4話 航空母艦と航空事故 (8)
その4 母艦機の事故 (承前)
私が 「瑞鶴」 を発艦したのは、8月24日の午後3時15分 (1515) であった。 部下53機がこれに続いた。
この時の私の心境は極めて複雑なものがあった。 それは、この作戦が成功すればミッドウェイの復讐ができて泉下の戦友達は喜ぶだろうし、現在死闘中のガダルカナルの日本軍将兵の生命を救うことになるのもよく解っていたが、この作戦には不安な要素があまりにも多すぎたのだ。
第一は、敵情が私達攻撃部隊に知らされたのは敵発見後3時間の遅れがあったこと。
第二は、攻撃部隊の編成が建制を破り、「瑞鶴」 と 「翔鶴」 の混成であったこと。
第三は、戦闘機をガダルカナル上陸船団の直衛に割いて、私達の直衛戦闘機は僅か9機しかいなかったこと。
第四は、日本の母艦群は敵の陸上航空基地エスピリットサンドに近く、その攻撃圏内を行動していること。
第五は、日本の機動艦隊の部隊区分が、本隊、前衛、別動隊に分れ、私達は母艦発艦後、どこから敵の情報を入手できるのか (発艦後の飛行部隊は司令長官直率となる) 不安を感じていたこと。
第六は、私達の2時間前に出撃した関衛少佐の率いる第一次攻撃隊の情報が全く不明であったことなどであった。
発艦後1時間半、天気は快晴で一点の雲もなく、3千米附近の風は南東16節の向かい風で、私達にとって最悪の条件であった。 関少佐からの敵情は相変わらず入手できなかった。 ともあれ、私達54機は敵を求めて一路南下した。
1645、母艦を飛び立ってから1時間45分、敵の予定位置から90浬の地点にさしかかった。 私は30分後、または1時間後に起こる戦闘の様相を分析していた。
その第一は、第一次攻撃隊の雷爆撃によって敵の母艦が火災を起こし、気息奄々としながらも、全力を挙げて南東方に遁走中の場合だ。
この場合は敵母艦の位置は予定地点より7、80浬逃げ延びているかも知れないが、そ奴を追いかければ、黒煙が見えて発見は易しい筈だし、上空に戦闘機は少なく、これを撃沈することは極めて易しい。
その第二は、敵の母艦群は健在であり、敵の戦闘機群は第一次攻撃隊を撃滅して士気大いに揚がり、私達第二次攻撃隊の出現を手ぐすね引いて待っている場合だ。
この場合、敵は今50浬圏内にあって、20分後には約50機の戦闘機が碧空をバックにしてゴマを撒いたように私達に向かって進撃して来るだろう。 その2、3分後には味方の零戦9機との空戦が始まり、同時に、私達艦爆隊の上空に弾丸のように突進して来る。 私達は全滅の危険性があるだろう。
どちらの可能性が強いか解らないが、最悪の事態に備えて、艦爆隊と戦闘機隊の36機を高度8千5百米に上げて、鶴翼の陣形を取り、艦攻隊18機を高度3千米で一列横隊とし、突撃準備隊形を取ったのであった。

( 原著より 突撃準備隊形 )
前面30浬附近に台風に発達中の旋風と竜巻が見え、雲頂は1万2千米くらいで南側にスコールを伴っているようであった。
一次攻撃隊の情報を聞きたかったが、司令部からは何の通知もない。 もはや最悪の事態が起こる公算が最も強く、前面の台風の卵を最善活用する以外に戦勝の道はないと思うのであった。
言うまでもなく、台風の外周の東西両側面の風向は正反対である。 そして、南半球の台風はクロックワイズ (時計回り) に旋転する。
この旋転する風の追い風に乗って敵に殺到することができれば、敵の戦闘機が50機以上いるとしても、敵の母艦上空に到達するまでに私達を追尾攻撃できる回数は各機3回以下となり、艦爆隊の被害は50パーセント以内、50パーセント以上が敵母艦上空に殺到することが可能である。
また、わが雷撃隊も敵の母艦の正横3千米、高度零米に接近するまで、敵戦闘機の追跡時間が短く、被害は少ないであろう。
この風を、天与の幸運として捕えることができるかどうかが戦勢の鍵だ。 私は、段々と近づいて来る旋風の東西両側の雲の乱れを見つめた。 そして、それまで敵機が現われないことを祈った。
(続く)