著 : 高橋 定 (海兵61期)
第1話 基本的事故 (2)
その2
昭和11年5月上旬のことだ。 筑波山麓を南に流れる桜川と利根川の支流小貝川に挟まれた常陸平原の上空で、九三式中間練習機のスタント訓練が始まろうとしていた。 教官は西原晃中尉 (58期)、学生は海軍少尉の私であった。

( 九三式陸上中間練習機 )
この時の私の総飛行時数は約100時間で、その内訳は、初歩練習機が約50時間、中間練習機の離着陸が約30時間、スタント同乗 (垂直旋回、失速反転宙返り、スピン) が約20時間であった。
この日は天気晴朗で、霞浦の遥か彼方に太平洋の水平線がくっきりと藍色の一線を画していた。
高度2千米に達した時、後席の教官から指示があった。
「放なーせー」
操縦桿 (スチック)、方向舵 (フットバー)、スロットルレバーから手足を放せという意味だ。 飛行場を離陸してから今まで私が操縦してきたのであったが、この指示によって操縦装置から手足を放した。
「放しましたっ。」
「今からクイックロールをやってみせる。 クイックロールというのは、飛行機の姿勢の急激な変化と、その時にパイロットの肉体にかかる加重の方向と強さを体で覚えることが第一だ。 第二は、その加重下にある肉体を自由に動かして操舵を確実にやれるように体を慣らすことだ。」
「はいっ!」
「操舵のやり方は地上で繰り返し練習をしたな?」
「はい、20回くらいやりました。」
「空中では舵の重さが地上と違うから、これも体で覚えることだ。 飛行機の姿勢の変化については、君が納得できるまで何回でもやってみせるから、今から30分間遠慮なく俺に注文しろ。」
「はいっ!」
「堅くなってはいかんよ。 ゆったりと構えるんだ。」
「はいっ!」
「下界は目下精気溌剌という季節だなあ!」
「はあ?」
「常陸の国の山や河、野や丘が溢れる生命をここまで吹き上げているようだ! 君はそうは思わんか?」
「はあー」
私はチラッと下界を見た。 教官の言われるように、下界の常陸平原は蓮華の紫が絨毯を敷きつめたようだし、所々の灌木林の小丘には菜の花が満開で、草餅のように柔らかく盛り上がっている。 筑波山の新緑も目が醒めるように初々しい。
しかし、それをゆっくり観賞するような心境にはなれない。 今からクイックロールをしっかり覚えねばならないのだ。
「教官! 前席準備よろしいっ!」
「慌てるな、ゆっくりやってもクイックロールだ。」
「・・・・・・」
「駄じゃれを言ってるんじゃない。 貴様は昔からせっかちで攻撃精神旺盛だったが、操縦は、サッカーや柔道のように旺盛な攻撃精神だけでは駄目なんだ。 また、せっかちに回数を重ねたら上手になれるというものでもないんだよ。 悠々と落ち着いて、しかも勘どころをピシッと逃さないように会得するのが大切なんだ。 解るかな。」
「はい、解ります。」
(続く)