2010年04月03日

天気晴朗なれども浪高し

 旧海軍の連繋水雷については、既に 「連繋機雷 (一号機雷) について」 と題して 『別宮暖朗本』 のデタラメな記述に関連して4回に分けて説明してきたところです。

 そこで、先日HN 「プロコンスル」 さんとのやり取りの中で日本海海戦時の有名な電報

 「敵艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす 本日天気晴朗なれども浪高し」

 のことが出ましたので、当該記事の補足としてお話ししておきたいと思います。

 何かと言いますと、標題のこの電報の末尾にある 「本日天気晴朗なれども浪高し」 の意味するところについてです。

 ご存じのとおり、この電報は飯田参謀が起案した本文に秋山真之が後から付け加えたものであるとされています。

 この付け加えられた文言の意味については、秋山自身が何も言ってはおりませんので、後世になって色々と憶測がなされているところです。

  それはそれで良いのですが、しかしながら最近になってこの文の意味について、とんでもない解釈を堂々と述べる人達が現れてきました。 それも、それなりに名の売れた研究家と称する人までもが。

 例えば、ウィキペディアを見てみますと、

 「 海が荒れて計画していた連繋水雷作戦が行えないので、砲戦主体による戦闘を行うの意とも言われる。」

 との記述が見られます。 本当にそんな解釈があり得るのか?

 まず5月27日の日本海海戦の立ち上がりの経過について、「三笠」 の戦時日誌及び戦闘詳報を中心に拾ってみますと次のようになります。

 午前05時05分 「厳島」 による 「信濃丸」 の敵発見電の転電を受信
 午前05時10分 「三笠」 至急点火下令
 午前05時35分 連合艦隊 「直ちに出港用意」 下令
 午前05時55分 「三笠」 出港用意下令
 午前06時05分 「三笠」 航進を起こす
 午前06時15分 「三笠」 前進原速12ノット、針路不定にて加徳水道に向かう
 午前06時20分 「三笠」 合戦準備下令
 午前06時30分 連合艦隊 「速力15海里順序に従い出港せよ」 下令
 午前06時50分 連合艦隊 「旗艦の通跡を進め」 下令
 午前07時05分 「三笠」 戦闘配置下令
 午前07時10分 「三笠」 加徳水道を出る
 午前07時20分 各艦 「三笠」 の航跡に従い予定航行陣形に続行
 午前07時35分 「三笠」 前進原速15ノット
 午前09時39分 敵艦隊との接触地点と想像する沖ノ島に向かう
 午前09時54分 連合艦隊 旗命により臨時奇襲隊を各その固有の隊に復帰させる
 午前10時50分 「和泉」 電により敵の編制・陣形の概要を知る

 ご存じのとおり、連合艦隊主力は出撃し易い鎮海湾入口の加徳水道に錨泊して待機していましたが、5月25日になって 「三笠」 は軍令部との通信連絡が便利なように単独で鎮海湾内の錨地に移っておりました。 そのため27日の出撃に際しては上記のような経過になったわけです。

 では、かの電報は何時発信されたのか? 次のとおり、午前6時21分です。

tenki_01_s.jpg   tenki_02_s.jpg
( 左 : 軍令部長まで報告された翻訳紙     右 : 翻訳前の受信紙 )

 とすると、加藤参謀長を経て東郷の決裁を受けたあと、電文を暗号化し、発信紙を作成するまでの時間を考えると、秋山真之が加筆したのはどんなに “遅くとも” 午前6時前後でなければなりません。

 その時間に 「三笠」 はどこにいたのか?

 上記の経過を見ればお判りのように、「三笠」 はまだ鎮海湾の中において錨を揚げたばかりのところです。

 実際には沖ノ島に向けて海峡を航行中の午前10時過ぎに、やっと決戦予想海面での臨時奇襲隊の使用断念を決断し得たにも関わらず、それより遥か前の午前6時の鎮海湾の中にいる段階で、どうやったら秋山真之がその対馬海峡の風浪の状況を判断できるのでしょうか?

 しかも、臨時奇襲隊による連繋水雷敷設と甲種魚雷攻撃は、海戦劈頭に敵の航行を妨害して陣形を混乱させ、主力の砲戦を有利に進めるための補助手段であって、主力の砲戦に “とって替わる” ようなものでは全くありませんから、こんな出港の段階でわざわざ軍令部に報告するような事柄でもありません。

 実際、もしこの臨時奇襲隊による連繋水雷の攻撃が連合艦隊の作戦全体に影響を及ぼすほどの重要なものであるとするならば、何故その午前10時8分の決断の時には軍令部に報告しなかったのでしょう?

 少しでも 「海」 というもの、「艦」 というものを知るならば容易に判ることであり、史料に基づいてキチンと調べてさえいれば出てくるはずのない “妄想” “空想” の類ですね。


 ついでですが、『別宮暖朗本』 ではこの 「天気晴朗なれども」 の件は出てきません。 その替わりに、次のようなことが書かれています。

 10時5分、浅間を旗艦とする水雷艇からなる奇襲隊を竹敷要港に戻した。 バルチック艦隊の先頭が巡洋艦ゼムチューグであるため、戦艦スワロフへの連繋水雷による奇襲ができなくなったためである。 (p292) (p303) 

 これが全くの大嘘であることは皆さんもうご存じでしょう。

 東郷は、7時30分の 「厳島」 電により 「ゼムチェグ」 が先頭であることは判っていましたが、バルチック艦隊の編制・陣形については10時50分の 「和泉」 電や12時2分の 「厳島」 電によりようやくその概要が判明してきたところです。

 つまり、バルチック艦隊の状況が不明な段階で臨時奇襲隊の編制を解いています。 「スワロフ」 がバルチック艦隊の陣形のどこに位置するのか、どころかバルチック艦隊の陣形さえ判らないのに、なぜ連繋水雷の攻撃が出来なくなったと判断できるのでしょうか?

 そもそも臨時奇襲隊の目的は 「スワロフ」 攻撃ではありません。

 そして「ゼムチェグ」 が先頭にいるとなぜ攻撃ができないのでしょうか? 「浅間」 が一体何のために臨時奇襲隊の旗艦に配されているか、第1駆逐隊の役割は何なのか、を考えれば明らかかと。

 即ち、臨時奇襲隊による攻撃取り止めは、海面状況によるもの以外の理由はありません。

 付け加えるなら、この臨時奇襲隊は、“水雷艇からなる” のもでもなく、編制が解かれた後に竹敷に戻ったわけでもありません。

 これを要するに、余りにもお粗末かと。

(注) : 本項で引用した電報史料は、防衛研究所図書館史料室が保有・保管するものからです。

posted by 桜と錨 at 11:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 海軍のこと
この記事へのコメント
はじめまして。ヤマナカと申します。
私は、久しぶりに船のプラモデルを作りたくなりまして、色々なサイトを回って艦船の用語や構造の勉強をしております。
「砲術学校」のサイトでは、貴重な写真や資料を見せてくださり、ありがとうございます。

「天気晴朗なれども浪高し」の解釈についてですが、「世界の艦船」1995年5月号(No.495) に、「攻勢機雷戦ならず 日本海海戦秘話 (中川 努)」という記事があります。

この記事の中に、”『本日天気晴朗ナレドモ波高シ』の電文には、攻勢機雷の成否に関する強い不安が含まれているとみなすべきであろう。” という記述があります。

この「強い不安が含まれている」という言葉が変化してウィキペディアの記述につながったのかも知れません。

既にご存知の事でしたら、失礼の段、お許しください。
Posted by ヤマナカ at 2010年04月04日 23:35
 ヤマナカさん、こん**は。 コメントありがとうございます。

>「世界の艦船」1995年5月号(No.495)
 幸いにして 「世界の艦船」 は創刊号から総て揃っておりますので (^_^)

 ウィキペディアが何に基づいたのかは記載されておりませんので判りませんが・・・・?

 何れにしましても、残念ながら中川氏の想像 (本人は断定していますが) は全くあり得ないと言えます。

 午前6時の段階での 「強い不安」 などは、連合艦隊司令長官から軍令部長への報告電として “何の役にも立たない” どころか余計な事柄だからです。 受け取った軍令部長にしてみれば “だから?” にしか過ぎませんし、不必要な動揺・疑心暗鬼を軍令部に起こさせるだけです。

 むしろそのようなことは現場の指揮官としては報告すべきではないとされる内容です。

 現場からの状況報告というのは淡々と事実とそれに対する指揮官の “意図” を伝えればよいのであって、これは軍では当たり前のことであり、今日に続く躾け事項でもあります。

 しかも、「暁」 搭載の連繋水雷8群連32個を主体とする臨時奇襲隊の攻撃が、海戦を左右するほどのものには成り得ませんので、この時間にその成否予想についての “指揮官の感情” をわざわざ報告するような事柄でもありません。

 もしこの連繋水雷を使用する戦術の成否がそれ程重要な役割を果たすものでとするならば、確実に実施と成功が期待できるように、遥かに大規模なものでなければなりません。

 “運良くうまくいけばもうけもの” 程度の内容の戦術が、作戦全体の中心になるわけがありませんから、その程度のことは海戦後の結果報告に付け加えれば充分です。

 したがって、如何に秋山真之の作文であるからと言って、東郷がそのような意味のものを容認することはあり得ません。
Posted by 桜と錨 at 2010年04月05日 13:48
桜と錨 様

丁寧にご説明くださり、ありがとうございます。
確かに、「強い不安」を報告しても意味がないですね。

考えてみると、『本日天気晴朗ナレドモ波高シ』の電文に言外の意味を見いだそうと努力するのは甲斐のないことかも知れません。

連携機雷の事を知らなかった私にとって、中川さんの記事は新鮮に感じましたが、記事の内容が全て正しいと考えるのは危険なのですね。
Posted by ヤマナカ at 2010年04月05日 20:12
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