2010年03月24日

「距離通報器」 について (3)

 そして肝心な問題です。 「号令通報器」 はともかくとして、この 「距離通報器」 によって砲術長から各砲台長へ伝達される 「距離」 とは一体何を意味するのでしょうか?

 つまり、測距儀の測定結果による 「測距離」 なのか、測的の結果によるある時間後の 「未来距離」 なのか、はたまた射撃計算後の 「照尺距離」 なのか、ということです。

 これを言い換えるならば、測的やそれによる未来位置の算出、そしてそれに基づく射撃計算はどこで誰がやるのか? ということになります。

 この問題の詳細については、この後に予定している射撃指揮のところでお話しする予定ですが、結論から言うと、「照尺距離」 で無いことは皆さんにもすぐお判りいただけるでしょう。

 なぜなら、前部司令塔内に装備された距離通報器の発信器は1台です。 もし照尺距離を送るのだとすると、射撃計算結果は砲種によって異なってきますから、「三笠」 の場合ですと最低限、主砲、副砲及び12听砲用の3台の発信器が必要になってきます。

 そして、「照尺距離」 であるとすると当然ながら距離通報器だけでなく、同時に苗頭通報器も3台必要ですが、少なくとも黄海海戦以前には 「三笠」 でさえ1台も装備されていません。

 それはそうでしょう。 砲術長が一人で測的計算も、そしてこの3種の砲の射撃計算をすることは不可能ですし、それを補佐する要員・組織は、当時は砲術長の横にも、司令塔内にも存在しませんでした。 発砲諸元(調定苗頭照尺)の決定責任は、既に 「連装砲の発射砲」 でもご説明したとおり、明治36年改訂の 「海軍艦砲操式」 の規定によって砲台長 (及びその補佐) にあるからです。

 つまり、測距儀による測距離そのままか、あるいは測的結果と伝達に要する費消時間等を加味した未来距離かのどちらかでしかあり得ません。

 これを露天艦橋から伝声管で前部司令塔へ伝え、その上で前部司令塔から各砲台へ伝達し、表示するのが 「距離通報器」 なのです。 ですから、それだけのものと言えばそれだけのもの、なのです。

 したがって、『別宮暖朗本』 の著者が言う

 艦砲で敵艦に狙いをつけるというのは、旋回手 (Trainer) と俯仰手 (Layman) の機械操作でしかなく、いずれもポイントを目盛りのどこにあてるかだけが課題である。
(p63) (p67) 

 だが大口径主砲の砲手は、目盛り操作と弾丸装填のみに集中しており、敵艦をみるチャンスはない。 (p270) (p279) 

 などということには絶対なり得ません。 なり得るわけが無いのです。 その機械操作に必要なデータを送ってくる装置そのものが無いのですから。


 ついでにご説明すると、旧海軍で今日に伝わる近代射法が誕生したのは、「変距率盤」 と 「距離時計」 が採用された明治41年以降のことで、この射法が全海軍に 『艦砲射撃教範』 の規定として正式に示されたのは大正2年のことです。

( これについては、本家HPの 「砲術講堂」 内の 「射法沿革概説」 ↓ でご説明しておりますので、これをご参照ください。)


 これに併せて、その近代射法実施のために必要な通信装置を主とする指揮要具の標準が決まりました。 明治45年に始めて制定された 「戦艦及一等巡洋艦砲火指揮通信装置制式」 がこれです。

 ここで定められた通信器は次のものです。

FireConEquip_01.jpg

 これらの通信器が射撃指揮所 〜 下部発令所間と下部発令所 〜 各砲側間に様々な方法で装備されます。

FireConEquip_03.jpg  FireConEquip_02.jpg

 射撃指揮所も下部発令所も、日露戦争時代にはまだ無かったことに注意して下さい。 そして、各種通信器が下部発令所と各砲台間ではなくて、“各砲側” と結ばれるようになっています。

 これをご覧いただければ、この著者が 「完全な斉射法」 などと訳の判らない言葉で言うところの 「一斉打方」 (後の 「交互打方」 のこと) や 「斉発打方」 (後の 「一斉打方」 のこと) と言ったものが、通信装置一つとってもそう簡単に実現できるものではなく、況や日露戦争当時の装備状況では不可能だったことが明らかでしょう。

 これを要するに、この通信装置の点からしても、黄海海戦や日本海海戦時には旧海軍は射法としての斉射は “やっていない” というより “出来なかった” のです。

 したがって、この通報器のこと一つをとっても、この 『別宮暖朗本』 の著者が得意げに語る、

 砲手を訓練すれば事故を防ぐことはできるが、命中率をあげることはできない。 6インチ砲や主砲を命中させることができるのは砲術長、すなわち安保清種なのである。 安保は部下の砲手を機械の一部として活躍させたことについて、公言することを潔しとしなかった。 (p269) (p279) 

 一方、三笠の12インチ主砲は、2時15分の第3斉射で夾叉 (ストラドル) を与えたものと推定される。
(中略)
  『三笠戦闘詳報』 によると、それ (27日午後2時16分) 以降、12インチ砲および6インチ砲毎発は、ほとんど空弾なく命中したという。 これが斉射法の威力であるが、 (後略)  (p300) (p312) 
 (注) : 青色 ( ) は管理人によるもの

 などの総てが、全くのデタラメであることがお判りいただけたと思います。
(この項終わり)
posted by 桜と錨 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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