2010年02月18日

「筒発」 について (5)

 更に 『別宮暖朗本』 の検証を続けます。

 現場では 「魔の28発目」 とささやかれていた。 すなわち筒発は試射第1発目から28発目に起きることが多かった。 (p307) (p319) 

 筒発を知るどこの海軍当局も極秘にした。 この事実を知らないと 「魔の28発目」 で砲塔一つの戦力が失われるわけだから、知った方は秘密にしないはずがない。
 (p308) (p320) 

  “ささやかれていた” ということは、まずその 「魔の28発目」 の筒発事故が多発した、という史実がなければなりません。

 まるでさも日露開戦前からそのことが判明していたようなことを言っていますが、そもそも開戦前の平時の訓練でそんな連続射撃をしていたのかどうか、調べたのでしょうか?

 とすると、黄海海戦も含めて、日本海海戦以前で28発目に筒発を起こした例が一体幾つあったのでしょうか? それは一体どの様な史料に基づくのでしょうか?

 しかも “現場ではささやかれていた” などと 「歴史の評論」 として極めて不適切な表現を使っていますが、この著者は一体何を根拠に “ささやかれていた” と言っているのでしょう? どこにそんなことが書かれた史料があるのでしょうか?

 既にご説明した筒発の原因を考えていただければお判りのように “28発目” などという定量的なものに繋がる要素は全くありません。

 確かに20発以内の場合にはほとんど筒発の事例はありません。 しかし、それは、例えば鍛鋼榴弾のみの射撃から徹甲榴弾併用へと移行した時期であるとか、あるいは戦闘前の時間のある間に充分な準備を行った砲弾を撃ち尽くした後であるとか、敵弾の命中などの外的要因は、等々色々なことが関係したとも考えなければなりません。

 また、黄海海戦でも日本海海戦でも、射撃開始からずっと同じペースで打ち続けていたわけではありませんし、しかも当然ながら各艦毎でも射撃の仕方は異なっています。

 したがって、“砲身の灼熱” による一律の 「魔の28発目」 など何の根拠もないことですし、意味もありません。

 これは先にご説明した黄海海戦における 「三笠」 後部左砲の筒発の例でも明らかでしょう。

 また、例えば、日本海海戦時の 「敷島」 前部右砲毀損は、当時の発射弾数11発目 (当該砲身の累計で98発目) に過ぎませんし、また筒中にはほとんど異常はなく、毀損の状況から筒発とは考えられていません。

 あるいは日本海海戦時の 「富士」 後部右砲毀損は、敵弾によるものであることが明らかにされております。

 これらは総て各艦の戦闘詳報などを読めば直ぐに明らかになることです。

 もしこの著者が本当にこのようなことを考えているなら、その根拠をキチンと明示するべきでしょう。 知らない、判らない、調べていない、うえでの短絡的、感覚的な “思いつき” を書き並べたに過ぎず、あまりもいい加減です。


 東郷司令部は、この原因についてさまざまな仮説をおいたと思われるが、有力なものとして残ったのが 「砲身灼熱説」 だった。 つまり、大口径砲ほど装薬の量が多くなるが、その熱エネルギーを吸収すべき砲腔面積は比例して広いわけではない。 このため12インチ砲では、20発前後から砲身の付け根が灼熱してしまう。 (p307) (p319) 

 東郷は、25発で主砲射撃をやめ、ホースで海水をかけ砲身冷却をはかることにした。 このための時間稼ぎで、ロシア艦隊主力をやりすごしたのだ。 また、筒発の少ない12ポンド砲を活用することにした。 (p309) (p320) 

 この結果、2時11分の12インチ砲試射開始から、25発前後うった2時57分に 「打方やめ」 の命令が出され、乙字戦法も実行にうつされなかった。 (p309) (p320) 

 日本海海戦において 「三笠」 は12インチ砲では試射をしていない、というツッコミはさておき、

 午後2時11分に射撃を開始して2時57分までの46分間で25発前後撃った、とこの著者は言っていますが、とすると、最初の試射の間も含めて平均1.9分/発の発射速度になります。

 この著者が “これが艦砲射撃だ” という、砲手はただ機械目盛に併せるだけの操作であとは発射のベルに合わせて引き金を引くだけ、などと戯言をいっている、単純なカタログスペックによる最大連続発射でもそのようなことはあり得ませんが・・・・ もうこれだけでも “大うそ” が明らかかと。

 しかも、「三笠」 は日本海海戦で主砲は全部で124発、単純な計算で1門平均31発しか撃っていないのに、最初のたった46分間で各門既に25発? 午後7時10分の射撃中止まで、あと4時間強も砲戦が続いたのに?

 それに、「三笠」 の戦闘記録、戦闘詳報にはチャンと 「緩射撃」 「並射撃」 「急射撃」 と区別して書かれています。 この著者、「三笠」 の戦闘詳報さえ読んだことがないのか、あるいは読んでもこれの意味が判らないのかのどちらかです。

 ましてや、砲戦の最中に砲身冷却をするために時間稼ぎをした、などあまりにもバカバカしくてコメントする気にもなりませんが・・・・

 そもそも、東郷がそのために 「打方止め」 の命令を出したなど、一体どこにその記録があるのでしょうか?

 生きるか死ぬか、そして国運がかかっている海戦の最中に、筒発が怖くて司令長官が射撃中止を命ずる? エアコンの効いた部屋の机に座って、紙の上でしか物事を知らない者の戯言ですね。

 しかも、砲身冷却のための時間稼ぎで射撃を止めたと言っていますが、一体何分止めたのか?

 この時に 「三笠」 が射撃を一時中止したのは、午後2時53分からの左8点変針を2回行った後、午後3時11分に左舷射撃を開始するまでのたった18分間です。

 この著者の言う “砲身の灼熱” を冷却するのための時間がたったの18分? そのために司令長官がわざわざ時間稼ぎで射撃中止を号令した?

 艦の回頭によって目標照準が出来なくなったために、当然のことことして砲戦指揮官たる艦長の措置として射撃を一時中止し、そして反航となって反対舷での対勢が定まった時に艦長の当然の措置として射撃を再開したまでです。

 加えて、「筒発の少ない12ポンド砲を活用することにした」 など、一体何を寝ぼけたことを言っているのでしょうか、この著者は?

 近距離になれば12斤砲も有効射程に入りますので、これを使用することは当たり前のこと。 そんなことはキチンと戦闘詳報にも書かれています。

 「三笠」 の12斤砲は、距離が4600mに近づいた午後2時22分から射撃を開始しており、2時53分の回頭開始より遥かに前です。

 しかも、この回頭時間中に射撃を一時中止したのは主砲・副砲だけではなく、この12斤砲も含めた総てです。 射撃舷が替わるのですから当たり前のことです。

 戦闘が開始された後の砲戦において、どの砲・砲種でどのように射撃するかはひとえに個艦の艦長の問題・職責であって、艦隊の司令長官ではありません。

 司令長官がそのようなことを直接に指示・命令するのは、余程の事情・理由があった場合に限られます。 この時のような、単なる戦術・砲戦運動に伴うものなど、全くその範疇ではありません。

 こんな初歩的な常識さえも、知らない、判らない、調べていない、なのでしょうか。 全くもってお粗末。
(この項続く)
posted by 桜と錨 at 21:12| Comment(7) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
管理人様

プロコンスルです。

とう発については北澤先生が特に解説をして下さったのですが、私の卒論の趣旨とは若干ずれるのであまり深くは触れませんでした(この問題はこれだけで十分論文になりうる内容ですし、あまり内容を広げ過ぎると何を述べている論文なのか分からなくなるので)。

さて別に別宮氏を擁護しようと思っている訳でもなければ管理人様の説を否定しようなどと思っている訳でもないのですが、多分「28発目」の根拠はこれでは?というものは分かります。

砲術長安保大将の回想によると「とう圧を計測する為に日本海海戦においては前部12インチ砲塔に3個しかないシャックルゲージを用意させ、10発目、20発目、30発目のとう圧計測を企図したが、10発目は入れ忘れ、“28発目”で右砲がとう発した…」とあります(『日露戦役参加者史談記録』「待敵中の訓練に就て」)。

ちなみに北澤先生もご自身の論文でとう発について書かれている箇所で引用されています。先生曰く「とう発防止の為に砲身を冷却する必要があり、その為にも射撃が長く出来る同航射撃による丁字戦法を採用した」(「再考東郷ターン」)とのことです(同航射撃を選択した理由は他にもあることをちゃんと述べておられます)。

言葉足らずで訳のわからない文章になってしまっておりますが、根拠らしい根拠と言えば多分上記の史料では?と思いましたので、書かせていただきました。
Posted by プロコンスル at 2010年03月23日 00:03
 プロコンスルさん、こん**は。

 ご指摘の件は 「三笠」 の戦闘詳報その他でも出てきますが、これを 『別宮暖朗本』 の著者が “魔の28発目” の根拠にしたのかどうかは判りません。

 なにしろ、当該戦闘詳報などをちゃんと読めば、その筒発の原因は砲身そのものや信管の不良を示唆するものであり、砲身冷却措置の効果によって 「砲身の灼熱」 は考えられない (あり得ない) ことが書かれているからです。

 もっとも、この著者がまともな史料をキチンと読んでいるとは全く考えられませんが。

 いずれにしましても、日本海海戦時のことですから、この著者が “ささやかれていた” 云々と語る根拠にはなり得ませんし、ましてやそれまでに一体28発目の筒発が何件発生したのかを提示しなければ、何の意味もないことですね。

 なお、反航の丁字戦法というのはありませんし、当時の砲術から言って反航射撃は成り立ちませんので、丁字戦法を実施する以上は必然的に同航・斜同航になります。

 そしてもし砲身冷却を顧慮するならば、その為の射撃時間云々よりもそれ以前の問題として、各艦の射撃は実際には実施した 「急射」 は禁止され、緩射、せいぜいが一時的に並射でなければならず、東郷から事前にその指示が出されていなけばならないはずです。

 したがって、残念ながら北澤氏の言われる東郷ターンに筒発防止の顧慮が含まれていることはないと判断できます。
Posted by 桜と錨 at 2010年03月23日 01:55
管理人様

プロコンスルです。
色々とお教えいただきありがとうございます。

別に管理人様の説を否定するものではなく(寧ろ説得力があり、こちらを支持しますが)、「28発目」の根拠らしい根拠はこれしかないかなと思いまして、書き込みさせていただきました。

≫反航の丁字戦法というのはありませんし、当時の砲術から言って反航射撃は成り立ちませんので、丁字戦法を実施する以上は必然的に同航・斜同航になります。

北澤先生曰く「一般に優勢な側は同航射撃を強い、敵に背を見せられない劣性側は反航射撃を求める」、(第二次)黄海海戦では「反航射撃」を企図した(敵が戦わなかった為に結局はなかったのですが)ということでしたので、てっきり反航射撃における「丁字戦法」もあると思っておりました。

また「丁字戦法とは、命中を期して行う砲戦距離内の不正な丁字対勢で敵列端に集中射撃をする戦法をいい」「丁字戦法開始以前の準備運動である、所謂“東郷ターン”とは区別して考える必要がある」とのことなんですが、これについてはいかがでしょう?どちらでもいいと言えば良いことなのかも知れませんが、歴史研究者としては気になる部分でして。
Posted by プロコンスル at 2010年03月23日 17:20
 プロコンスルさん

 反航射撃というのは、目標の距離や方位の変化が大きく、かつその変化量が変動しますので、狙いが極めて難しいものです。 日露当時の砲術や、砲熕武器そのものではまず当てることができません。 従いまして、艦隊の戦術でこれをやろうとすることは普通は考えません。 もちろん、会敵当初はその対勢上仕方ない場合もあり、また運動を続けていく途中でやむを得ない場合もありますが。

 丁字戦法については、射撃指揮や射法のお話しが終わった後に詳しくやるつもりにしていますので、楽しみにお待ち下さい。
 取り敢えず簡単に申し上げると、その基本は我の優速を利用して常に敵の頭を圧迫する如く運動しつつ、その先頭に射撃を集中すること、と考えています。
 もちろん、敵の後端に対するものもありますが、船と言うものは互いに動きますので、これが生起する可能性は上記の基本を実施してる最中に偶々起こりえるものでしょうし、また起こりえても持続することが極めて困難なものです。
 このことが、丁字戦法が山屋他人の円戦術を発展させたものと言われる所以でもあると考えます。
 ともかく、海戦というのは紙の上に駒を置いて考えるようなものではなく、水に浮いて常に互いに動き回るもの、という観点を絶対に忘れてはなりません。 これが判らないから未だに 「日本海海戦では丁字戦法は生起しなかった」 などと言い出す素人さんがいるわけです。
Posted by 桜と錨 at 2010年03月24日 21:11
管理人様

いつもお忙しい中ご回答いただきありがとうございます。丁字戦法の考察も楽しみにしております。

≫海戦というのは紙の上に駒を置いて考えるようなものではなく、水に浮いて常に互いに動き回るもの、という観点を絶対に忘れてはなりません。

大変重要なことですね。

実は私は大学卒業後に海上自衛隊に入隊(補士です)、幹部自衛官を目指しておりましたが、夢破れて現在は民間に戻りました(同期の1人は3尉になりました)。

残念ながら護衛艦には乗ったことがないので、砲術の勉強をする機会はなかったのですが、電測員でしたので、多少なりとも艦隊運動について知識を得ることが出来、非常に有意義な1年でありました。

≫「日本海海戦では丁字戦法は生起しなかった」 などと言い出す素人さんがいる

T高さんとかH藤さんとかですね(笑)。

今後の丁字戦法のご講義でも触れて下さるとは思いますが、彼らの言う「同航射撃だったから丁字戦法ではなかった」とか「秘密兵器(連繋水雷のことらしいですが)を秘匿する為に丁字戦法で戦ったことにした」との説は意味不明です(NHKの番組で滔々と語っておりましたが)。

防大教官のT中先生も以前は「幻の丁字戦法」と書かれていましたが、2005年に書かれた本の中では「丁字戦法はあった」と主張しておりますね(にも関わらずT中先生のこの著書やT高さんの著作を「丁字戦法否定説」の根拠として挙げ「非常に説得力がある」とか書いてある本があり、驚きました)。
Posted by プロコンスル at 2010年03月24日 22:29
 プロコンスルさん、遅くなりました。

>電測員でしたので
 それなら話しが早いですね。 相対運動というものがどういうものか判っておられるので。

>「日本海海戦では丁字戦法は生起しなかった」
 ともかく、船にまともに乗ったことさえない人達があの合戦図を見て、勝手に判ったつもりになってあ〜だ、こ〜だという。 困ったものです。

 しかも最近は「天気晴朗なれども・・・・」が連繋機雷が使えないことを軍令部に伝えたものだ、などとトボケタことを言う素人さんも現れるしまつで(^_^;
Posted by 桜と錨 at 2010年03月29日 21:07
管理人様

とんでもございません、お忙しいのにこんな素人同然の人間の下らない質問にまで答えていただけて恐縮です。

≫相対運動

運動盤解法は先輩にひっぱだかれながら覚えました(笑)。解けないと上陸出来なかったので必死でしたね(笑笑)。

≫最近は「天気晴朗なれども・・・・」が連繋機雷が使えないことを軍令部に伝えたものだ

これも言いだしたのはT高さんとH藤さんですね。

連繋水雷が秘密兵器か否かはさておいても意味不明としか言いようがない主張です(「日本海海戦に丁字戦法はなかった」「日本海海戦の真の勝因は何か−使われなかった『丁字戦法』と海軍が秘匿した機密作戦」)。

H藤さんに至ってはA川さんとの対談で「連繋水雷が係留されている写真がある」(『連合艦隊錨揚げ』)とか訳のわからないことを言っていましたが。係留されている写真があると何故「丁字戦法」を使わなかったことになるのでしょうね。

どちらも海軍に造詣が深いと自称しておるようですが、素人同然の私から見てもお粗末にもほどがあります。
Posted by プロコンスル at 2010年03月29日 23:21
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