2010年02月17日

「筒発」 について (4)

 『別宮暖朗本』 の検証を続けます。

 日露戦争で海軍首脳を一番悩ませたものは筒発だった。 黄海海戦でこれが多発した。(201ページ参照) (p305) (p317) 

 実は、司馬遼太郎が書く、海戦における日本側がうけた残虐な場面の描写の大半は、筒発事故である。
 「 後部の主砲である12インチ砲に砲弾が命中し、1門を破損した。 (後略) 」 ( 『坂の上の雲 (四) 』 55ページ )
 これは黄海海戦における三笠の筒発事故であり、第2回戦で起きた。
 (p306) (p317−318) 

 「残虐な場面の描写の大半は、筒発事故である」 などと言っていますが、さて 『坂の上の雲』 において、一体どこにそれが描写されているのでしょうか?

 繰り返しますが、この著者が理解し得ている筒発とは “砲身の灼熱” であり、この後で出てくる “魔の28発目” のことであって、「そうなんだ」 と断定して書いているもののことです。 この著者は筒発のそれ以外の原因については、説明どころか触れてもいないのですから。

 もし皆さんで当該文庫本の (四) 巻や (八) 巻が手元にある方は、ペラペラとで結構ですから確認してみて下さい。

 この 「三笠」 の後部砲塔の例も、「敷島」 や 「日進」 の例も違います。 つまり “1つも” ないことがお判りいただけるでしょう。


 折角ですから、黄海海戦における 「三笠」 後部砲塔の状況について、少し詳しくご説明しておきましょう。

 戦闘詳報にもあるとおり、明治37年8月10日の黄海海戦において、「三笠」 は旅順艦隊に対して午後1時15分に距離1万mで前部主砲をもって試射を行い砲戦を開始します。

 午後1時46分、距離8千で6吋副砲も射撃開始。 続く1時47分には距離7千mとなりそれまでの緩射撃から並射撃に移行します。

 そして、射撃開始からは鍛鋼榴弾を使用していましたが、2時45分以降は鍛鋼榴弾と徹甲榴弾を交互に打つこととしました。 (この徹甲榴弾は、先にご説明したとおり複底螺式に改良される以前の古い型式のものです。)

  午後3時21分、敵艦隊との距離が開いたため射撃を中止します。 ここまでを射撃の第1期としており、1万〜7千mの遠距離砲戦です。

 そして約2時間後の午後5時38分、距離7千3百mをもって再び射撃を開始し、午後6時34分には12听砲も射撃に加わります。 射距離はだんだん短くなり、午後6時45分には6千4百m、同57分には3千7百mとなり、午後7時頃からは敵艦隊を包囲した形での砲戦となります。

 その後は再び距離が開き始め、午後8時2分、日没をもって射撃終了となります。 ここまでが第2期の射撃です。 射距離7千3百〜3千2百m (この海戦における 「三笠」 の最少射距離) で、この第2期はほぼ日露開戦前に旧海軍が予期した砲戦距離であったと言えます。

 この砲戦の間、「三笠」 は旅順艦隊の5番艦を除く1〜6番艦に対して、適宜目標変換を行いながら射撃を継続しました。

 そこで後部主砲塔ですが、第2期の射撃が開始された直後の午後5時56分、敵弾が砲塔前部に命中したことに起因して、右砲折損 (筒発を伴う)、左砲故障、砲塔の旋回・揚弾不能の被害を受けます。

( 因みに、この時に後部主砲塔砲台長として指揮していた伏見宮殿下が負傷されたことは有名な話しです。)

 ところが、その後部右砲は午後2時30分頃から午後4時15分までの間、発火装置が故障してその修理のために射撃不能であったことから、発砲はしていません。

 つまり、午後2時30分頃から第2期の砲戦が開始される午後5時38分まで、約3時間、後部右砲は撃っていない のです。

 したがって、筒中の冷却措置の実施も併せて、第2期砲戦開始までには砲身は充分冷めていましたので、午後5時56分の砲塔事故の原因がこの著者の言う “砲身の灼熱” によるものでないことは明らかです。

 加えて、射撃時間がより長く、より多数の砲弾を撃った後部左砲や前部左右砲は筒発を起こしていません。

 また、後部右砲は発火装置故障があったため、この第2期の砲戦開始から始めて徹甲榴弾を使い始めたことにも注意してください。

 こんなことは 「三笠」 の戦闘詳報を確認すればキチンと書かれていることです。 この著者はこのことを一体どの様に説明するつもりなのでしょうか?

 しかも、もし右砲が筒発 “だけ” によるものとすると、砲身切断によって厚い砲塔前盾の装甲が破壊することはあり得ません。 また、砲身切断位置からして左砲砲尾の故障に至ることも考えられません。

 加えて、敵弾の命中 “も”、当の砲塔員の証言などとも併せると実際にあったことと考えられます。

 したがって、この後部右砲の事故は、1つあるいは (多分) 複数の この著者が断定する “砲身の灼熱” 以外の原因 によるものと言えます。

 以上のことから、司馬氏が 『坂の上の雲』 で描く艦上の戦闘シーンは、司馬氏が執筆時点で参考とすることができた当時の史料の状況を考えれば、決しておかしくはありません。 むしろ 小説 としては、正しく、リアルに描かれてると言えるでしょう。

 それに対して、豊富な一次史料が使える時代になっいるにも関わらず、それを知らず、使わず、理解せず、にウソや誤りを書き連ねるこの著者など、その足下にも及びません。

 司馬遼太郎氏を貶め、それによって自己の見識の高さ (と自分では思っている) をアピールしようとするためならここまで言うのかと、この著者は。
(この項続く)

posted by 桜と錨 at 13:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
管理人様、ここの文章を読んで疑問に思ったので質問させていただきます

この黄海海戦後部主砲の被害は腔発について(1)にあるような信管の誤作動も含まれていた、ということでしょうか。

被弾の衝撃で信管が作動し、右砲身が折損した、ものという見解でよろしいでしょうか。
Posted by 陸軍上等兵 at 2014年10月13日 18:00
陸軍上等兵さん、初めまして。

>信管の誤作動も含まれていた

それも一つの可能性として排除できないということです。

そもそも筒発については、多くの場合その原因を特定することは困難です。 何故ならその個々の事例を再現して検証することが不可能だからです。

黄海海戦時のこの 「三笠」 後部主砲右砲の事故については、砲塔前面の装甲板が割れていることから、筒発以外の原因があったことは確かです。

また、敵弾の命中だけではあの様な形に砲身は切断しませんので、筒発があったことも確かです。

ただし、この筒発の原因及び敵弾命中との因果関係は不明です。 信管の不良又は誤作動、砲弾の発射直後の急減速による信管作動、底螺の不良、・・・・ などなどが考えられますが、どれであるかを結論付けることは不可能です。

ただし、別宮暖朗氏の言う “砲身の灼熱” なるもの、つまり専門用語でいうところの “高温砲” で無いことだけはハッキリ断定できますが。

Posted by 桜と錨 at 2014年10月14日 18:34
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/35369966
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック