著 : 高橋 定 (海兵61期)
第2話 パイロット気質 (かたぎ) (6)
その3 言い訳をするな (承前)
昭和8年12月中旬、私達少尉候補生は、練習艦隊 「磐手」 「浅間」 の両艦に分乗して、中国遼東半島の尖端、大連港に入泊した。
早速、旅順要塞の戦跡を見学し、夕刻大連市内の自由散歩を許されたので、7、8人の同級生達と一緒に、大連市で最も繁華な連鎖街のダンスホールに行って飲んだ。
同級生の一人、高橋達彦の見事なタンゴを見て驚いたり喜んだりしながら、大いに酔った。 ところが翌朝、指導官高田少佐に呼びつけられ、
「高橋候補生! 貴様はビールが好きか?」
と詰問的質問を受けた。
「酒は好きですが、ビールは嫌いです。」
と正直に答えた。 すると、
「何っ! 酒が好きなら飲むなとは言わん。 しかし、嫌いなビールを何故衆人環視の中でラッパ飲みしたかっ?」
私は、しまったと思った。 高橋達彦は大のビール好きであった。 指導官は、高橋達彦と私を取り違えている。 ビールは嫌いです、などと答えなければよかったと後悔したが後の祭り。 その後は、何と叱られようと黙否権 (当時はこの言葉はなかった) の発動であった。
十分ばかりお説教を喰って、以後ビールを飲まぬことを約束させられて釈放になったが、この黙否権の行使は、兵学校の言い訳するなの躾のせいではなかった。

( 原著より 高橋達彦候補生 )
昭和9年3月、遠洋航海の途上、練習艦隊は、マニラ市に寄港した。 在留邦人との親善水泳大会があって、私はブレストで出場して優勝した。
この大会には、同級生北島一良 (艦攻のパイロットになり、戦後は加古川市の天理教支部長、49年死亡) の従妹で、マニラ領事の娘が応援に来ていたが、大全終了後、この綺麗なお嬢さんの案内で、北島一良と私は、映画を見てお茶を飲んで海岸を散歩した。
しかし、三人一緒というのはどこか都合が悪い。 北島一良とはいつも一緒だが、この時ばかりは邪魔であった。 そして、彼も私を邪魔に思っているだろう。 私は、「水泳で疲れたから先に失礼する」 と言って、後髪を引かれる思いで彼女と別れ、キャバレーに行って、フィリピン娘を相手に飲んだ。
疲れたと言ったのは言い訳であり、先に帰ると言ったのはウソであった。 北島とお嬢さんがどうなったか、結果は解らないから結論は出し難いが、こんな言い訳ができるようになったことが良いことか悪いことか解らないが、一歩前進ではあった。
昭和9年3月末、練習艦隊はシンガポールに入泊した。 翌日夕刻、英国大使館の広い芝生の庭で、大使主催のガーデン・パーティーがあって、私達候補生も参加した。

( 原著より 当時のアルバムから シンガポールのジョンストンピア )
シャンペンとスコッチのカクテルは甘くて柔らかで、ついつい飲みすぎるものだ。 私のテーブルの向こう側には、奥州中館城主の玄孫、中館明正候補生がいい気持で飲んでいた。
宴も終りに近い頃、英国大使がいきなり 「日本国天皇陛下のために乾杯」 と言って起立したので、私達も起立した。 ところが、中館明正が立ち上がれない。 いつの問にか酔って腰が抜けていたのである。
私は傍に寄ってやっと立ち上がらせたが、止せばいいのに、更に 「英国皇帝陛下のために」、「練習艦隊司令官閣下のために」、「英国大使閣下のために」 と、何回も起立乾杯が続いた。
その都度、立ったり坐ったり、腰は抜けても、乾杯とは字の如く杯を乾さなければ無礼になると心得ている私達だから、中館明正は完全にダウンしてしまった。
ここまでは私達に間違いはないと思う。 乾杯と言われても、飲まずにごまかして、相手を祝福せずに涼しい顔をしている無礼と、相手を心から視福して無理を承知で杯を乾し、腰を抜かした無礼とは、何れが無礼の度合が高いか、前者であることは言うまでもないと思った。 「礼記」 にも、「礼はその心を尚ぶ」 とあるではないか!
それはともかく、中館をボートまで連れて行けそうにない。 最終便に乗り遅れること必定となった。 私は同級生の一人福井睦雄 (潜水艦、14年豊後水道で沈没殉職) に応援を頼んで、三人は大使館の海岸の鉄木 (棕櫚に似た喬木) の木蔭に隠れて中館の頭を海水で冷した。

( 原著より 向かって左が中館明正候補生 )
日が暮れて黄色い月が出た。 シンガポールの海岸は、人頭大の火山弾と熔岩で、その上をタコの足のような鉄木の根が覆っている。 海水は生温かく黒い。 ヨーロッパ神話のタコが現われそうな無気味さがあった。
中館は、酒と胃液を全部吐いて、一時間ばかり昏酔の後目を醒ました。 時もよく、艦から当直候補生がボートで迎えに来たので、三人は艦に帰った。
暫くすると、「候補生総員後甲板に整列!」 の号令があり、中尉指導官から全員が殴られた。 意地の悪い〇〇中尉は、全員を一通り殴ってから、最後に私の前に立って、
「貴様は、傍に付いていながら何故中館候補生に腰が抜ける程飲ませたかっ! 真実の情がないっ。」
と言って、もう一つ私を殴った。 私は、
「何を言うか、子供ではあるまいし。」
と言いたかったし、
「貴様こそ、英国大使に気兼ねしてヘドモドしている。」
とも言いたかったが、心の底に押し殺していた。 この時の気持は、言い訳をしないというようなものではなかった。
〇〇中尉は、どこか虫の居所が悪かったのであろうが、こうなったら喧嘩と同じである。 殴られて、兵学校式にカラッとしているというわけにはいかなかったし、また、自分は正しいと、平然としてもいられなかった。
そして、鬱勃たる反骨精神が芽生えていくのであった。 それは、一中尉に対する感情を越えて、私自身の性格の中に根を下していくようであった。
(続く)
今後とも、素晴らしい記事を配信されご活躍されることを期待しております。
こういう回想録などを記事にしていると、色々な方々から関連する情報をお寄せいただけますので、こちらとしても勉強になり、嬉しいことです。