砲を連続して発射すると、当然のことながら砲身が高温となります。 そしてこの高温によって砲弾や装薬中の火薬類の自然が生じる可能性が出てきます。 この状態を 「高温砲」 といいます。
この場合、普通は先に装薬が発火して砲弾は発射されてしまいますが、状況によっては砲弾内の炸薬、あるいは信管などが起爆してしまう可能性が全く無いとは言い切れないものがあります。
砲に余り詳しくない方々には、この高温砲が原因で砲弾が破裂して筒発となる、というと最も判りやすい様で、結構これを挙げている記事が見られます。
『別宮暖朗本』 の著者流に言うと、「奇怪な論説であって、砲術を知らない人間の頭に入りやすいが (p295) (p306) 」、あるいは 「俗耳に入りやすい (p79) (p83) 」 ということになります。
しかしながら、実際に日露戦争当時でも、筒発 (と疑われるものも含む) の状況を詳細に観てみれば、この高温砲が原因として考えられるものはまずありません。
また、太平洋戦争におけるスラバヤ沖海戦やアッツ沖海戦での長時間の砲戦を考えていただいても、この高温砲による筒発というのが、それ程簡単に生起するものではないことがお判りいただけるでしょう。
もちろん、日露戦争当時においては、この高温砲と筒発の関係、あるいは高温砲によって引き起こされるその他の筒発原因との関係はよく判っていませんでした。
したがって、この高温砲も筒発発生の一原因と考えられていましたので、特に黄海海戦での教訓から、日本海海戦までに各艦ごとこの砲身冷却については様々な工夫・努力がなされました。
例えば、「三笠」 では下図のように主砲用のキャンバス製の特製冷却装置を考案し、射撃中はその中を海水を通すことによって砲身温度を下げるようにしています。 丁度、現在のオットーメララの76ミリ砲の様な具合にです。

更にこれに加えて、1〜2弾発射する毎に砲尾から砲身内に真水を注入して冷却措置を講じていました。 これらによって、「三笠」の戦闘詳報では主砲は海戦中ほとんど素手で触れる程度の温度であったとされています。
しかし、それでも 「三笠」 の前部右砲は筒発を起こしたのです。 したがって、この時の筒発及びそれと疑われるものが、この 「高温砲」 によるものでないことは明らかでしょう。
(4) 操作ミスなどの人的要因
例えば、日露戦争の頃の弾底信管式の砲弾の場合、弾庫に格納中は 「換栓」 という仮の栓が付けられており、戦闘前にこれを外して信管に換えることになっています。
ところがこれを入れ替えずにこの 「換栓」 のまま発射した例が実際にあります。 しかも、開戦直前の訓練時と、黄海海戦及び蔚山沖海戦の実戦時に。 簡易な仮栓ですからその結果がどうなったかは言わずもがなでしょう。

また、その他に、底螺のねじ込みが不十分で、ガタがあったと考えられる例もありました。
以上が筒発の原因についてのご説明ですが、筒発が起きた場合、多くは砲身の切断、亀裂などに繋がります。 しかし、砲弾の炸薬が 「不完爆」 であった場合には、砲身切断までには至らず、砲弾の破片が砲口から放出されるだけの様な場合も多くあります。 砲身毀損の状態は、それこそ多種多様です。
そしてほとんどの場合、個々の筒発の原因は不明、あるいは解明不能であることです。 つまり同じ状況を再現できませんので、検証することが不可能であり、状況から “推定” するしかありません。
したがってその対策は、結局は疑われる原因を一つ一つ潰していくしかないわけです。 これも筒発に関する重要な点になります。
更に注意していただきたいのは、砲身毀損の総てが 「筒発」 が原因であるわけではない、ということです。
即ち、砲身自体の材質・製造不良、命数超過、あるいは設計ミスなどにより、砲身が装薬によるガス圧に耐えられなかった場合や、あるいは外的要因、例えば敵弾の命中などによる場合も、砲身の毀損を生じることになります。
そして砲身毀損の外見も筒発の場合と非常に良く似ている例が多く、その為もあってこの現象も一般的には 「筒発」 として言い含められていることもありますが、正しくはこれは 「筒発」 ではありません。 あくまでも砲弾が筒中で自爆した場合をいいます。
そしてまたこれが筒発の問題を複雑にしている一因にもなります。
例えば日本海海戦時の 「日進」 の主砲の毀損事故です。 この写真での砲身の折損状況は 「筒発」 によるものであると考えられています。


しかし考えてみて下さい。 前部砲塔の左右両砲の全く同じ位置で切断していますし、しかも、後部砲塔左砲も残された内筒の切断位置からするとこれもほぼ全く同じ位置です。
上でご説明した筒発の原因からすると、4門中3門についてこのようなことが起こる可能性は限りなく “0” に近いことがお判りいただけると思います。
この 「日進」 の場合は、あるいは筒発があったのかも知れませんが、この砲身折損は明らかにそれだけが原因では無いことを示しています。
しかも、「日進」 の戦闘詳報にも書かれているとおり、前部右砲は午後2時40分、後部左砲は午後5時20分、そして前部左砲は午後7時00分の事です。
前部左右砲同時でも、ましてや3門同時に発生したのでもありませんし、また乗員はそれぞれの時に何れも砲に敵弾の命中があったと認識しています。
したがって、単に砲身毀損の写真をみて、単純に 「筒発」 (だけ) によるものと言うことは出来ないということです。
(注) : 本項で引用した各史料は、写真以外は総て防衛研究所図書館史料室が保有・保管するものからです。
(この項続く)
初めてコメントをします。司馬遼太郎の「坂の上の雲」が単行本として出るとすぐさまそれを買い求め胸を熱くして読んだ世代です。それが1972年、大学に入学した年でした。しかしその後、色々な調べ物をするようになり、現場を知る人の話を聞き、原典史料に当たる事の大切さを実感するようになり、今では司馬さんの本だけで日露戦争を知ったと考えてはならないと自戒するようにしています(それは何事についても当てはまること、神は細部に宿り給うです)。
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さて日進の砲身損壊について調べていて、「桜と錨」様のこのブログに辿り着きました。そこで伺いたいことがあります。今回の「筒発」 について (2)では、損壊の原因が膅発だけということはできない、とされ、敵弾命中による可能性も示唆されていますね。しかし後者は排除できるのではないでしょうか。その理由は以下の通りです。
(i) 「筒発の原因からすると、4門中3門についてこのようなことが起こる可能性は限りなく “0” に近い」とお書きになっていますが、それであれば同形の砲の全く同じところに敵弾が弾着する確率はさらに低いのではないでしょうか。
(ii) 確かに「乗員はそれぞれの時に何れも砲に敵弾の命中があったと認識している」とのことですが、それは筒発の音を敵弾の命中と勘違いした可能性もありはしませんか。彼我の砲撃の音が止まない中で、現実に負傷者が出れば、筒発で生じた爆発音が敵弾によるものと思ってもおかしくないような気がします。
(iii) また前部の2門が損壊した写真では、敵弾が当たったのに砲塔や甲板に何ら損傷が認められません。そのやや後方には数多くの弾痕がありますが。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Nisshin1905.jpg
ブログでは「前部砲塔の左右両砲の全く同じ位置で切断していますし、しかも、後部砲塔左砲も残された内筒の切断位置からするとこれもほぼ全く同じ位置です」とお書きになっています。まさにこの事実こそ、損壊の原因が膅発であり、それ以外の何物でもないことを裏付けるものではないでしょうか。
非力な当方はその他の詳しい資料を得る能力がないので、Wikipediaと自分の実感と「桜と錨」様のブログ内部での論理整合性のみから、ご質問をする次第です。ご教示いただければ幸いです。
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ブログを拝見し、本チャンの砲術屋さんであった方の、何事にも細部を疎かにせず着実に積み上げて事に対処いく姿勢、さらに其の背後にある生きる姿勢に強く共感しています。少しずつブログを読ませていただくことに致しますのでどうぞよろしくお願いします。