2010年02月10日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (補)

 砲術のお話しは、砲塔砲の発射法のところまで終わり、次の段階の準備を始めておりますが、その前にちょっと補足として。

 といいますのも、本項でご説明したことの証拠として前回の (5) において 『別宮暖朗本』 の掲載写真にて当時は “斉射” をしていない事実を証明しました。

 しかし中には、あれは 「敷島」 であって 「三笠」 は加藤砲術長指揮の下に斉射をやっていたのではないか? と思われる方もあるかもしれません。

 ということで、連装砲の発射砲に関連してもう1つご紹介します。

 次のもの ↓ は 「三笠」の黄海海戦の戦闘詳報である 『三十七年八月十日日露艦隊海戦第三回詳報』 の中に記されているものです。

mikasa_gunfiring_01_s.jpg

 これは、戦闘詳報の後半の戦闘被害に関する部分で、黄海海戦において砲戦の第2期が午後5時38分に開始された直後、午後5時56分の後部砲塔の筒発 (実際には当時は敵弾の命中と認識されていましたが) について、その発生時の 「砲身切断当時の目撃者の談」 として記されているものです。

 もちろんこの内容は、『極秘明治三十七八年海戦史』 でもそのまま収録されています。

 ここに出てくる 「砲台長」、「砲塔長」、「砲塔次長」 については既に (1) で当時の 『海軍艦砲操式』 を引用してご説明したところですので、お判りいただけていると思います。

 そこで赤線で記したところに注意してください。 「独立打方」 を行っていたと書かれています。 しかも砲台長の命により、です。

 この 「独立打方」 がどの様なものかも、既に (3) でご説明したところです。

 さて、これのどこがこの著者の言うわけの判らない 「斉射法」 なのでしょうか?

 したがって、この1件でも

 5000メートルを超える中長距離砲戦では、斉射法は必須である。 ところが、現在に至るも誰が斉射法を発見したのかははっきりしない。 ・・・(中略)・・・ ただ、どの艦隊が実戦で初めて実行したのかははっきりしている。 すなわち日露戦争の黄海海戦の連合艦隊である。 (p67) (p71) 

 すると 「斉射法を初めて実戦でやり、勝利した男」 の栄冠は戦艦三笠砲術長加藤寛治に与えられるべきだろう。 (p68) (p72) 

 と滔々と語るものが “大嘘” であることが明らかかと。

 とすると、6回に分けてご説明してきました本項だけでも、この 『別宮暖朗本』 におけるこの著者の主張の屋台骨として、当該本の背表紙などに “謳い文句” として堂々と印刷されている

 近代砲術の基礎となる 「斉射法」 を世界に先駆けて実戦で使用し、独自の砲術計算を編み出した連合艦隊の実像 (表紙カバー裏)

 日本は近代砲術の基礎となる 「斉射法」 を世界に先駆けて用いただけでなく、独自の砲術計算によって精度を高めていったのである。  (文庫版カバー)

 が、もう既に全く成り立たっていないことになります。

 もちろん、本件はこの後にご説明する予定の射法や射撃指揮法のところでも、更に多くの史料でもって詳しくご説明します。 加藤寛治自らが文書をもって “やっていない” と言っていることも含めて。

 また、本項で出てくる 「筒発」 についても、項を改めてご説明いたします。

(注) : 「筒発」 の 「筒」 は 「月」 偏に 「唐」 と書くのが正しい字ですが、常用フォントにありませんので代用しています。


(この項終わり)

posted by 桜と錨 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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