2010年02月06日

『飛翔雲』 第4章 パイロットへの道 −その1

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第1話 パイロットになる (1)

 私がパイロットになろうと決心したのは22歳の時であるが、それは、先輩の軍艦 「多摩」 艦長、高塚省吾大佐 (38期) の教えに負うところが多かった。

 昭和10年9月下旬、艦長の勧誘で大和遍歴の旅をした。 一行は私 (海軍少尉) の他に中尉一人、少尉一人の四人であった。 旅行のスケジュールは三泊四日で、昼間は大和周辺の史跡を見学し、夜は十二単 (ひとえ) の美人の酌で一杯やり、その他は、そのつど艦長の指示によるということであった。

 第一日は、九月二十六日の日没頃、神戸からタクシーで古都奈良に着いた。 艦長なじみの春日大社南大門遺跡と道路一つ隔てた古い料亭に泊り、芸者を四人呼んで大いに飲んだ。

 余談になるが、この時代の芸者は、着物の裾を長く曳き、大きい太鼓帯を胸高にしめて、優雅な姿であった。 この服装に裳 (も) をつけ、唐衣 (からぎぬ) を着せ、袴 (こ) をはけば十二単になるわけだ。 但し、太鼓帯は十二単時代にはまだ使われてなく、現代の伊達巻のような単 (ひとえ) 帯であった。

 なお、太鼓帯の下には腰紐を低く結ばねばならないから、パンティー (短袴) をはくと、着脱の時着付けが崩れるので、腰巻きを愛用しているという芸者の説明があった。

 第二日は、朝早く奈良を発って布留 (ふる) 川 (現在天理市) までタクシーに乗り、石上 (いそのかみ) 神社に参拝して武運長久を祈った。 石上神社から桜井市の大神 (おおみわ) 神社まで 「山辺 (やまのへ) の道」 を歩くことになった。

 この道は、奈良市北端の奈良山 (なる、なろ、なら、平らかの意、平城の出典) から三輪山西麓に通ずる古代日本の一級道路だ。 当時は 「上つ道 (かみつみち) 」 と言った。

 西暦667年、天智天皇が鳳輦 (ほうれん) に坐して文武百官を率い、牛車の音をきしませながら、飛鳥から近江へ遷都された時の通路になったし、またこの時、天皇の妃、萬葉歌人額田王 (ぬかだのおおきみ) が、

   『 三輪山をしかも隠すか雲だにも
            心あらなも隠さふべしや 』
  
 と故山を振り返って泣いた場所は、この道の北端、奈良山の歌姫坂 (又は般若坂) であった。

 艦長の説明によると、この歌は鹵簿 (ろぼ) が歌姫坂の峠 (大和と山城の国境) にさしかかった時、峠の頂上に祭られた道祖神に鹵簿の安泰を祈って献上した歌で、彼女が天皇に代って歌ったものだということだった。

 一行は、曲りくねった道に迷って農家の庭に入り、色づき始めた柿の実を貰ったり、お茶の御馳走になったりしながら古都の秋に溶け込んだ。 この日の大和の空はさわやかであった。

 艦長が山辺の道の路傍に腰を下ろして飛鳥時代を語る姿は、狩衣 (かりぎぬ) を着せたら大和朝の下っ葉役人そっくりだろうと思った。

 一行は三時間ばかりかかって三輪山に着いた。 午後、大神神社に参拝し、貴賓室で御神酒 (おみき) を頂き、謹しんで国家守護の重任を果たすことを誓って退下した。

 そして、桜井町からマッチ箱のような可愛い汽車に乗って橿原神官に着いた。 参拝の神事は三輪と同じであった。 一行が奥の拝殿で参拝 (艦長は従五位だから昇殿、私達は階下で列立) を済まして敬虔な気持で大鳥居の外に出ると、艦長は、

 「昨夜の汚れは、今祓い清められた。 今から吉野の修験道場に参籠する。」

 と言われた。 一行がタクシーで吉野蔵王堂に着いた時は、日は暮れかかるし、これから金峯山に登るのかと思って、いささかうんざりしていると、

 「ついて来い。 道場は近くにもあるのだ。」

 と言って、百米ばかり奥の勝手 (かつて) 神社寄りの大きい旅館の玄関に入って行った。 すると、その旅館には既に連絡してあったらしく、女主人、女中が全員で出迎えて、奥座敷に丁重に案内された。

 部屋には、凝った置物や家具調度がみがき上げられ、東の窓の迄か彼方に、国見獄の秀麗な姿が暮れ行く靄の中に霞み、吉野連山が眼下に展開していた。

 縄文、弥生時代から9千年に亘って私達の祖先が往来した山々である。 色づき始めた桜の梢を通して、如意輪寺も見えた。 艦長は、

 「今から一風呂浴びてこよう。 山門に入れば葷酒 (くんしゅ) あり、道場に入れば美姫嘉肴 (かこう) あり、今宵は、本道場において灌頂 (かんちょう) の儀を行なう。」

 と言って、さっさと風呂場に降りて行った。 道場とは旅館の奥座敷であったことは解ったが、灌頂の儀が解らなかったので中尉に聴くと、真言密教のさとりの儀式で、甘茶の代りに酒を頭から浴びようということだろうと言った。 そして、その晩は中尉の言うとおりの宴となった。

 宿屋の女中は、純朴で親切であった。 その夜の艦長の話は、山岳崇拝のこと、山伏の発祥のこと、役の小角 (えんのおつの) のこと、霊異記 (りょういき) のこと、呪術のこと等であった。

(注) : 本第1話冒頭には著者の手になる回想録執筆当時の海自パイロットの志望理由調査・分析結果が書かれておりますが、本回想録そのものには直接関係しませんので省略いたしました。 これについてはもし何かの機会があれば、別途ご紹介いたしたいと思います。


(続く)

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