2009年12月12日

『飛翔雲』 第3章 世界戦争時代 −その22

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 南海の決戦 (12)

   その6 南太平洋海戦 (承前)

 この時の位置は、敵輪形陣の後尾の駆逐艦の外側であった。 「ホーネット」 が、約5千米前方で火災を起こしていた。 部下達の攻撃はまだ続き、高角砲と機銃の弾幕が空を黒く覆い、機影がそれを縫って進撃していた。

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( 原著より )

 左前方の巡洋艦が、後甲板を水面下に沈め、黒煙に包まれながら断末魔の姿を見せていた。 午前7時50分頃であったと思う。

 私はエンジンを徐々に絞り、巡航状態に調整し、高度約百米のまま輪形陣から離れた。 白煙は少しずつ薄くなっていった。

 昇降舵は全く効かなかったが、方向舵とエルロンがどうにか作動したので、時間をかけて任意の方向に機首を向けることはできた。

 しかし、コンパス、速力計、高度計、燃庄計、油圧計は、弾片で破壊され、回転計だけが正常であった。 燃料タンクは右と胴体は空で、左翼タンクに2分の1ばかり残っていたので1時間は飛行可能であった。

 当面する生命の危険は去ったが帰る燃料はなかった。 近くに無人島もない。 飛行機はいつバラバラに分解するか解らない。

 私には、操縦桿が前後にブラブラするということが今迄の人生で、最も不快なことのように思えた。 機首の上下はプロフィックスで調整をするしかなかった。

 今からどうすべきか?

 そーっと水平に飛ぶことはできるのだから、とにかく、飛べるだけ飛ぼうと思った。
 しかし一方では、「やるべきことをやって、刀折れ矢弾は尽きたのだ。 一刻も早く死を選べ」 と何者かが叫んでいるように思えた。

 この言葉は軍人の常識であった。 しかし私はこの言葉に対し本質的に抵抗を感ずるものを、支那事変以来持っていたのである。

 それは、この言葉には死を単なる綺麗ごととして納得させようとする皮相の諦観理念や、神秘主義的な精神要素が多すぎて、人間追求の深さが足りないと思っていた。

 更に極言するなら、この言葉は、私達軍人の一部の神秘主義者が主唱していた 「生命」 と 「勇気」 ということについての、問答無用的遁辞であって、それはむしろ、神秘主義者自身が、死に対する不安から逃れるために主張した怠惰な御都合主義の諦観であると感じていたのだ。

 この考え方によったかどうかはともかくとして、私は 「一刻も早く死を選ぶ」 ことなく、南太平洋上を彷徨うことになったのである。

 さて、今から第一にやらねばならないことは、「ゼーゼー」 と鳴る喉を直して、空気を腹一杯吸うことであった。 しかし、両肩を反らせて息を吸おうとすると、ドロンとしたねばっこいものが喉を塞ぎそうになった。

 せめて一杯の水が欲しかったが、それもなく、唾でも飲み込もうとすると、喉の両側の唾腺が引きつって痛かった。

 顔は引きつり、唇はふくれ上がっていた。 肩と膝の出血は止まったが、左足は棒のようで、心臓の鼓動とともにズキンズキンと痛んだ。

 しかし、こんなことの総てよりも、今からどちらを向いて飛ぶべきか? それが重大な事であった。

 コンパスは毀れていたが母艦の方向は太陽でわかる。 しかし母艦までの燃料は3分の1もない。 近くに無人島もない。 行く当てはどこにもない。 いらいらと去就に迷うばかりであった。 そして暫くして、ふと気づくと機首が母艦の方向を向いているのであった。

 この時始めて私はこれでいいのだと思った。 帰り着けなくても、帰る方向があれば、何もないよりましだと思ったのだ。 他のことは何も考えなかった。

 数分前の激闘についても、「戦果はどうだったろうか。 火災中の 「ホーネット」 は沈んだであろうか?」 と一瞬思ったが、それも、遠い昔の出来事のようにかすんでいった。

 そして、「さようなら、津田大尉、石丸、平原大尉! 左田、畠山、安藤君よ、さようなら・・・・」 と呼んだ時、初めて激しい寂しさと悲しさが迫ってきて、冷たい涙が頬を流れた。
(続く)

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