2009年12月11日

『飛翔雲』 第3章 世界戦争時代 −その21

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 南海の決戦 (11)

   その6 南太平洋海戦 (承前)

 第三波がやって来た。 今度は機体を左に滑らせた。 深い角度の射撃であった。 一弾が私の右肩をかすめ、コックピット中央のコンパスを撃ち砕き、破片が左足の膝頭を貫通した。

 続いて第四波の攻撃があった。 再び機体を左に滑らせた。 しかし、13粍の一弾が右翼の付け根の外販を柘榴 (ざくろ) の実のように破り、ガソリンが白色の飛沫となって尾を曳いた。

 そして、その2、3秒後にそのガソリンに火がつき、火焔と黒煙が胴体の右側面を流れ始めた。 破口の右外側にはガソリンタンクがある。 これに類焼すれば機体は爆発する。 私はあわてて機体を右に45度傾けて滑らせた。

 すると、急激な横滑りのために、機軸を水平に折り曲げるような震動が起こり、機首を上げ、火焔と黒煙が座席に侵入してきた。 左のラダーを踏む力が弱いのだ。

 私はしびれた左足に右足を重ね、力の限り踏ん張った。 そして右腕を操縦桿に巻いて胸に抱き、上半身の力で右前に倒した。 バンドが肩に深く喰い込んだ。

 やがて火焔と黒煙は座席の下をくぐって左翼下に流れるようになった。 このままの姿勢で火災が消えるのを待たねばならない。 もしも、海面に激突するまで火が消えなければ総てが終るのだ。

 一方私の全身は、僅か2、3秒の火焔の侵入により、顔はカッカとほてり、鼻ロは塞がり、喉がゼイゼイと鳴った。 左の膝頭から流れ出る血は股間を浸し、右肩から吹き出る血は胸部に溢れた。

 僅かに残った自由な左手で破れた飛行服を引きちぎり、左の膝頭を押えたり、右肩にマフラーを詰め込んだりしながら落ちて行った。

 次第にかすみゆく頭脳とともに、動物本能の、生命に対する強い執着も段々と弱まって行った。 そして「いよいよ死ぬ時が来たのだ」と、緊迫感の中に悲しい諦めが覆いかぶきってきた。

 高度千米くらいまで落ちた頃、身につけた一切のものを投げ棄てて、座席の上に立ち上がり、大声をあげて咆哮したい衝動に襲われた。 それは、怒りと悲しみを天に向かって訴えたい衝動であった。 人間の命の、将に絶えようとする瞬間の発作であった。

 それから十秒くらい経ったであろうか、右翼端下方に、青い海原が近づいてきた。 火焔と海面に対する恐怖が交錯する中で、横滑りを止める決断に迫られたのだ。

 偵察員も私と同じような思いであったのであろう。 後席で何か音がしたように思って一瞬振り返ると、国分飛曹長は座席の右側に押しつけられながら、操偵両席の中間の外鈑を懸命に叩いて、大声で何かわめいていた。 必死になって私に何かを知らせようとしているのだ。

 私が振り向いたのを見て、右翼を指さした。 私は今まで左後方の黒煙ばかりを見ていたが、彼の指す右翼を見ると、翼根のすぐ外側の燃料タンクの上部は既に焼痕となって、翼の小骨が飴のように曲っているではないか!

 右タンクの火災は消えたのだ。 しかし、まだ白煙は座席に入り、黒煙は左翼下に棚引いている。

 横滑りを止めることは危険であったが、海面が百米以下に近づいてくる。 背に腹は変えられない。 操縦桿とフットバーを中正に戻すと、機体は大きく左に方向を変えて横滑りが止まった。 そして、火焔は座席に侵入してこなかったのである。 白煙だけが僅かに計器盤の下から流れてきた。

 火災は消えた! そう思った瞬間、全身は激しく震え、血は逆流し、霞む頭脳に閃光が迷った。 そして、

 「俺はまだ飛べるんだっ!」 と、本能が絶叫した。
(続く)

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