2009年12月10日

機械水雷 (機雷) の基礎 (5) − 小田喜代蔵と機雷 (前編)

 小田喜代蔵という人物の功績が旧海軍史に現れてくるのは、先に述べましたように、明治31年に 「小田式自働繋維器」 という個人名がついた兵器が制式採用されたことによります。

 これは明治36年の 「二号機雷」 及びそれを改造した明治41年の 「三号機雷」 の繋維器として使用されました。 そしてその後、改良型の繋維器が開発されるにつれて、この繋維器はその形から 「円錐形自働繋維器」 と呼ばれるようになりました。

 この自働繋維器の原理は 「コロンブスの卵」 的なものであり、かつこれの考案により 「繋維機雷」 が攻勢的大規模使用に繋がっていったことは確かです。

 ただ、これが小田の完全な考案か? というと、残念ながらそうではありません。

 小田の考案は、イタリアの工場見聞報告でもたらされた情報と、英海軍の水雷書を参考としたものであり、彼独自の発想というわけではありません。

 そして、

 その後1896年、二号機雷を発明した。 これは、発火装置を除いて現在使用されている機雷と同じものである。 (p183) (p190) 

 では 「旧一号機雷」 とは何なのか? とか、現在使用されている機雷と同じ、とは何をもってのことか? というツッコミはさておき、

 「二号機雷」 の考案は 小田ではありません。 武部岸郎 です。 しかも1896年 (明治29年) などと、一体どこの何 を見たら出てくるのか。 明治36年 (1903年) です。 これについては旧海軍の公式史料 『帝国海軍水雷術史』 に詳細に記されています。

 この二号機雷は、武部岸郎考案の機雷本体 (機雷缶) と、小田の考案になる 「小田式自働繋維器」 との組合せになるものです。 だからといってこの二号機雷を 「小田式機雷」 などとは決して言いません。 それはそうでしょう、繋維器は機雷本体とは別のものですから。

 この二号機雷の主要目は 『帝国海軍水雷術史』 にも一部記述されておりますが、別の昭和期の旧海軍史料によると次のようなものです。

ijn_mine_type2_01_s.jpg

 加えて、既出ですが、

 小田は機械水雷を2種類考案した。 一号機雷と二号機雷であり、一号機雷が通称 「浮標機雷」 と呼ばれるものである。 (p266) (p276) 

 一号機雷と二号機雷、って・・・・ 当時の 「連繋水雷」 が 「一号機雷」 と改称されたのは大正5年のことであり、「二号機雷」 の採用は明治36年であることは、既にお話ししたとおりです。

 この著者、その大正期のこの機雷の改称のことと、当時の元々の通称 「旧一号機雷」 との区別さえ知らない、判らないんでしょう。 ですから、何の断りもなく2つを平気で並べている。

 そして、後に 「一号機雷」 と改称されることになる “当時の” 「連繋水雷」 については、先の5回にわたる連載の中で、この機雷の発案・考案も、そしてその津軽海峡での使用についても、この著者が小田の手柄と書き立てるトンデモ話しの総てが 真っ赤なウソ であることを証明したところです。


 これを要するに、小田自身は全く機雷そのものの考案、発明はしておりません。 僅かに、日露戦争後に機雷の発火方式を改善する 「傾倒式」 というものでは一部寄与しているだけです。

( 因みに、当該本ではありませんが、ウィキペディアなどで流布されている “ 「小田式機雷」 の発明者” などというのも誤りです。 そのような機雷はありません。 )

 そして、

 小田は機雷敷設船蛟竜丸も自ら設計した。 (p183) (p191) 

 「蛟龍丸」 は徴用船ですから、小田が設計するわけがありません。 ましてや彼は造船屋ではありませんから、出来るはずがありません。

 「蛟龍丸」 は、当初日露開戦と同時に他の船舶と同様に徴用され、佐世保において仮装砲艦として艤装をされた上、改めて現地において機雷敷設用の艤装が施されたものです。

 この現地における機雷敷設用の 「流し式落下台」 の設置については、小田を司令とする連合艦隊附属敷設隊の手で実施しましたので、まあ彼がこれに全く関与していないとまでは言えませんが。

 しかし、下図に示すように、レール式の簡単な現地部隊工作のものを船に取り付けただけですので、“設計” というようなものでもありません。

kouryumaru_01_s.jpg

mine_drop_lane_01_s.jpg

 もし、これがこの筆者が特筆するほど重要なものなら、同時に使用したこの団平船の方はどうなのか?

danbeisen_01_s.jpg

 そして徴用船を改装した 「水雷沈置船」 「仮装砲艦」 などの大小多数の特設機雷敷設艦艇については?  バルチック艦隊を迎えるに当たって多量の連繋機雷搭載用に改装された駆逐艦 「暁」 (旧ロシア駆逐艦 「レシーテリヌイ」 ) は?

 この著者は、この様な自分に都合の悪いことには、全くの “ダンマリ” です。
(この項続く)

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次へ : 「機械水雷 (機雷) の基礎」 (6) − 小田喜代蔵と機雷 (後編)

前へ : 「機械水雷 (機雷) の基礎」 (4) − 「機雷」 一般 (後編)


posted by 桜と錨 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
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