2009年11月28日

「203地点ニ敵ノ第二艦隊見ユ」 (前編)

 今回は、タイトルどおり、5月27日早朝の 「信濃丸」 によるバルチック艦隊発見時のお話しです。

 何故これかというと、まずは次の 『別宮暖朗本』 の記述をご覧いただきましょう。

 信濃丸が203地点で「敵艦見ゆ」と発見し、無線で報告したのは、ロシア側記録では1時15分ごろとなっているが、『公刊戦史』では4時半とされている。 ロシア側が偽りをなす理由がないので、1時15分が正しいと思われる。 (p291)

 ひどい、余りにもひどい。 私もこれ程のものは他にそうそう見たことはありません。 こんな “大ウソ” が出版物としてまかりとおること自体に、怒りを覚えますね。

 では、この著者に聞きましょう。

 一体、どこの何という 「史料」 に、そのような “ロシア側が偽りをなす理由がない” という証拠の 「記録」 があるのでしょうか?

 そして、もし “午前1時15分” にロシア側に何某かの無線の傍受記録があったとして、それがどうして 「信濃丸」 が発信したものであり、その内容がどうしてバルチック艦隊発見電だと判るのでしょうか?

 電波の方位探知の満足な装備・技術もなく、日本語の略語・暗号解読の充分な能力もないのに?

 そもそも、「信濃丸」が発信したのは、午前4時45分頃発信した第1報は 「敵艦見ゆ」 ではなく、 「敵艦隊らしき煤煙見ゆ」 (実際の電文は 「ネネネネ」 ) であり、続く午前5時頃の第2報が有名な 「203地点ニ敵ノ第二艦隊見ユ」 (実際の電文は 「タタタタ モ203」 ) なんですが? そんなことも知らない、調べていない?

 それ以前の問題として、深夜の午前1時に、煤煙が見えるわけもなく、ましてや灯火管制をした艦隊が見えるわけがありません 。 そんなことはちょっとでも海の上のことを知っていれば “常識” ですが (^_^;

★  ★  ★  ★  ★

 まず、ロシア側の文献からです。

 最初にロシア海軍の公刊戦史である 『千九百四五年露日海戦史』 (海軍軍令部訳) の第7巻から、

russo_pub_shinano_02_s.jpgrusso_pub_shinano_01_s.jpg

 無線の傍受どころか、午前五時頃の 「信濃丸」 視認まで全く気付いておりません。

 次に 『露艦隊三戦記』 の中の 『最期戦記』 中の記述です。 これの著者はクラド海軍大佐であると考えられています。

last_btl_p29_s.jpg

 「和泉」 の接触まで、汽船を疑わしいとは思いながら仮装巡洋艦との識別はありません。 もちろん発見電の電信傍受などありません。

 このクラド大佐には別に 『日露戦争における海戦』 と題する著書がありますが、これにも午前1時15分の 「信濃丸」 バルチック艦隊発見電などは出てきません。

clado_01_s.jpg
( 海軍軍令部訳の同書より )

 同じく 『露艦隊三戦記』 の中の 『幕僚戦記』 の中の記述です。 これの著者はロジェストウェンキーの参謀の一人であったセミョーノフ海軍中佐であると考えられています。

staff_btl_p17.jpg

 これも 「信濃丸」 の視認によってバルチック艦隊の被発見とされており、午前1時15分の発見電傍受の記述はありません。

 そして、この著者が 「史料」 であると思っているプリボイ著の有名な戦記小説 『バルチック艦隊の殲滅』 (原題は「ツシマ」) からです。

priboj_p278_s.jpgpriboj_p277_s.jpg

 バルチック艦隊発見電の傍受どころか、「信濃丸」 の識別さえ出てきません。

 以上が日本おいてよく知られたもので、これが一般認識と言えるでしょう。 一体どこに午前1時15分の 「信濃丸」 発信電傍受の記録とするものがあるのでしょうか?

 もし、この著者が少なくとも “日本で初めて” そのようなロシア側の記録を発見したと主張したいなら、当然その根拠を明示すべきであり、その責任を果たすべきであったと考えます。

 もちろん、今からでも遅くはないですが。
(この項続く)
posted by 桜と錨 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
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