2009年11月25日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (4)

 日露戦争後、種々の戦訓に基づきこの艦砲操式もそれを採り入れたものに改訂することとなり、まず明治41年に 『海軍艦砲操式草案』 が作成されて試行されました。 そして試行結果に基づいて所要の修正がされて大正元年に制定、続いて36糎砲などの新しい砲を採り入れての改定が大正8年になされます。

 この明治41年版の草案では、先の連装砲塔の3種類の発射法の内の 「一斉打方」 が無くなりました。 要するに動力の問題で実用に適さないからです。

 そして、その後45口径の12インチ砲、そして45口径の14インチ砲が導入され、またその動力の一部に電動が用いられるようになっても、この問題は基本的には解決されませんでした。

 それ以上に、主砲装備門数が増えたことにより、弾着観測可能な1斉射弾数 (4〜6発を最適とする) の問題と斉射間隔短縮の利点から 「交互打方」 が良しとされたことも見逃せません。

 実際、大正8年に改定された 『海軍艦砲操式』 の 「第1章 砲塔砲操法通則」 では、次のように規定されています。

  「 第52 連装砲に在りては (右射) (左射) は交互に発射し 而して其の開始は右砲よりするを例とし砲塔長は毎回其の用意を令す 若一砲に事故あるときは続けて他の一砲を発射するものとす 又 状況により左右砲の斉発を行うことを得

   (注) : 太字 は管理人による

 したがって、大正2年に制定された 『艦砲射撃教範』 で規定された 「打方」 の一つとして 「一斉打方」 が出てきますが、実はこの 「一斉打方」 は後にいう 「交互打方」 のことなのです。

( この時に射撃教範で規定された “個艦としての” (各砲塔ごとの発射法ではなく) 打ち方は、「一斉打方」 「斉発打方」 「独立打方」 「指名打方」 の4つです。)

 つまり、旧海軍では、大正初期の近代射法誕生時に、この連装砲塔砲の動力の問題と射法上の問題の両面から、左右砲交互に打って斉射を行うこの “常用の” 方法を 「一斉打方」 と呼ぶことにしたんです。

 このような実態を判っていないと、『別宮暖朗本』 の著者のような

 主砲4門を同時に発射して、夾叉(ストラドル)を与えたものであり(70ページ参照)、完全斉射法でなければ、このようなことはなしえない。 (p207)

などと トンチンカン を言い出すことになります。

 砲塔砲の斉発を前提とした一斉打方、即ち今日で言う本来の意味での 「一斉打方」 が実用となり、かつ採用されたのは実に 昭和12年の 『艦砲射撃教範』 の全面改定から であり、更に、戦艦において実際にこの全砲塔砲斉発による 「一斉打方」 が行われるようになったのは 昭和13年から のことです。

 この時に、従来の 「斉発打方」 を 「一斉打方」 と言うことに替わり、そしてそれまでの 「一斉打方」 が本来の意味である 「交互打方」 に戻ったのです。

 つまり、
       昭和12年まで     12年以降
        「斉発打方」  →  「一斉打方」
        「一斉打方」  →  「交互打方」
 です。

 もちろん、それまでは必要に応じて左右砲を同時に発射する 「斉発打方」 も用いられましたが、これは研究射撃など ごく特別な場合に限られていた ことは言うまでもありません。



 ではこれらのそれぞれの発射法において、各射手 (砲塔長、砲塔次長) が引き金を引くのは、どの様なタイミングなのでしょうか?

 『別宮暖朗本』 に言うように、

 射撃のタイミングについていえば、帝国海軍の艦艇には砲手のそばにブザーがあり、2回ブッブーとなると「準備」、ブーと鳴ると「撃てー」を意味した。そして旋回手や俯仰手は、「準備」の前に砲弾を装填した砲身を苗頭の指示をうけ、修正しなければならない。引き金を引く砲手は、単にブザーに合わせるだけだ。そして「撃てー」の合図で、どちらかの舷側の6インチ砲は一斉に射撃した。 (p66)

 なのでしょうか?

( この文章が全くのデタラメであることは、既に先の 「照準」 などの項でご説明したとおりですが )

 全く違います。 各射手において 「照準」 が最も良いと判断した瞬間に引き金を引くのです。

 明治36年版の 『海軍艦砲操式』 でも、日露戦争後の大正元年版でも、次のように規定されています。

m36_p246_s.jpg
( 明治36年版より )

t01_p76_s.jpg  t01_p17_s.jpg
( 大正元年版より )

 どこに (発砲管制の) “ブザーに合わせて” などとされているのでしょうか?

( って、そのブザーは一体誰が何処で押す (管制する) のか? ということなのですが・・・・ そのような重要なことは、もちろん “例によって” この 『別宮暖朗本』 では全く説明されていません。  もっともそれよりも、そもそも当時はそのような 発砲管制用の 「ブザー」 はありません (^_^; )

 もちろん、試射において前部砲塔のみを使用する場合とか、砲戦後半になって近距離で敵を袋だたきにするような場合には、「緩射」 によって “砲塔毎” の斉射を行ったことはありますが、それは砲戦を通してのそういう特殊な状況になった時に限られます。

 ましてや、前後砲塔合わせての斉発など、この動力の問題だけをとっても不可能なことです。

 当時は (と言うより昭和10年代に入るまで) 各砲塔の 「斉発」 での射撃さえ行われてこなかったのに、一体どうやったらこの著者の言う 「斉射法」 などが出来るのでしょうか?

 ということで、以上ご説明してきましたことから、例の 『別宮暖朗本』 にいう、日本海海戦において 「斉射法」 なる “著者の造語” による射法が行われた、などは “真っ赤な大ウソ” であることがお判りいただけるでしょう。

 たったこの砲塔砲の発射法一つをもってしても、この 『別宮暖朗本』 における著者のトンデモ主張の骨格をなす 「優れた砲術ソフトによって」 などというものの “大前提” が成り立っていない のです。 

 この “大嘘” (デタラメといっても良いでしょう) については、ご説明した砲台操法上だけでなく、射法上からしても明らかなのですが、それについては 「射撃指揮」 に関するところで、射撃指揮要具・兵器などとともに、ご説明します。

 知らない、判らない者が知ったか振りをして書く “空想” “妄想” というのは、実に恐ろしいでね。 その笑える妄想は、次にご紹介します。
(この項続く)

posted by 桜と錨 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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