2009年11月22日

艦砲射撃の基礎 − 連装砲の発射法 (1)

 日露戦争時代の連装砲 (連装砲塔砲) の打ち方、つまり発射の仕方についてです。

 昭和期になってからの「一斉打方」、いわゆる「斉射」というものを行うためには、それぞれの連装砲塔で「斉発」、即ち “左右砲を同時に一人の射手で” 発砲することが大前提になります。

 これが日露戦争当時は実施できたのでしょうか? というお話しです。

 その前に、砲塔内にはどれだけの人員がどの様に配置されるのか、からご説明を始めたいと思います。

 「三笠」 の主砲である 「四十口径安式十二吋砲」 を例にとりますが、「富士」 やその他の戦艦でもその機構上の違いによって多少は異なるものの、基本は同じです。

 この12インチ砲塔砲について、その操法が規定されたのは、明治36年に全面改定された 『海軍艦砲操式』 が最初です。

manu_cover_m36_s.jpg

 この砲は、実際の砲の操作に必要な人員は、、砲塔長、砲塔次長、そして左右砲のそれぞれに1番〜6番砲手の、全部で14名です。

( 砲塔下部の揚弾薬装置や弾火薬庫への配員等は、説明の都合上取り敢えず省略します。)

 次の図はその中にあるもので、ちょっと元々の印刷が悪くて非常に見難いですが、右側が最初に 「集まれ」 の号令によって砲塔内に砲員が集まる時、そして右側が 「就け」 の号令によってそれぞれの配置に付いた状態です。

 後者では 「砲塔長」 及び 「砲塔次長」 が画かれておりませんが、左図と同じ左右砲の射手席です。

12inch_pos_s.jpg

 それぞれの砲員の主たる役割を簡単にご説明しますと、

砲塔長 : 砲塔の操作に関する長で、准士官又は下士官の先任者 (通常は上等兵曹) がなり、砲塔内の右砲射手席に位置します。 砲塔長は、砲塔全体の操作に責任を有すると同時に、自ら砲塔の旋回と砲の俯仰の操作を行って照準発射 (引き金) を担当します。 即ち 「射手」 でもあります。

砲塔次長 : 砲塔の操作に関し砲塔長を補佐する役目で、次席の砲員がなり、左砲射手席に位置します。 そして、左砲の照準と発射について一部を担当します。 これについては詳しくは後の発射法のところで。

一番砲手 : 装填機を担当し、揚弾・装填についての責任者
二番砲手 : 主として尾栓の開閉、発砲電路の開閉
三番砲手 : 揚弾・揚薬
四番砲手 : 砲の装填位置 (仰角4度半) の設定・固定
五番砲手 : 筒中の洗浄
六番砲手 : 三番の補助

(注) :「筒」 は例によって 「月」 偏に 「唐」 の字ですが、常用フォントにありませんので代用しています。


 これでお判りのように、砲塔長は砲員の指揮・監督は勿論のこと、自らも照準発射を行わなければならず、これには当然照準器の照尺・苗頭の調定も含まれます。 大変に忙しい配置です。

 そこで、前回の 「艦砲射撃の基礎 − 「見越」 について」 でもお話ししましたように、黄海海戦での戦訓と鎮海湾での猛訓練の成果によって、砲塔砲においては次の2点の要改善点が出てきます。

(1) 砲塔の旋回操作と左右照準を砲塔長の役目からはずし、俯仰操作とそれによる上下照準のみに専念させる。 このため旋回操作と左右照準についてはそれ専門の 「旋回手」 を新設する。

(2) 砲塔長及び砲塔次長が自ら実施する照準器の調定は、このための専従員として 「掌尺手」 を新設する。


 (1) は砲塔の改修・改造を要しますので、そう簡単にはいきませんから、実現するのは日露戦争後になります。

 (2) については日本海海戦までに各艦毎で戦闘時の補助員 (12ポンド砲などの補助砲や対舷砲の砲員など) から選抜し訓練して配置することで対処しています。

 そして、戦後になって、上記の事も含めた日露戦争における教訓などに基づいて 『海軍艦砲操式』 の改定が行われます。

 この改定は、明治41年に 『海軍艦砲操式草案』 として試行された後に、改めて大正元年版 『海軍艦砲操式』 として制定されます。

 改定が草案から正式に制定されるまで5年を要したのは、言わずもがな同じく日露戦争の戦訓得て明治40年に 『艦砲射撃教範草案』 を作成したものの、その直後から近代射法の大発展が始まり同草案が全面再作成の必要がでてきたからで、これとの整合を図るために時間を要しました。

 因みに、ご存じのとおり昭和期へと続く旧海軍近代射法の誕生を反映した、それまでのものとは全く異なる新しい 『艦砲射撃教範』 が大正2年に制定されました。

 この辺の射法誕生の流れなどについては、本家HPの 「砲術講堂」 → 「旧海軍の砲術」 の中で 「射法沿革概説」 及び 「教範・規則類沿革一覧」 としてご説明しておりますので、そちらをご参照下さい。
(この項続く)

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 で、余談ですが、

 『別宮暖朗本』 によりますと

 速射性とは大砲を1分間に何発うてるかということだ。 そして一般的には、砲塔にある大口径砲は、機械目盛り・ランマー・揚弾機・砲身命数・筒発によって支配されており、砲手の訓練によって発射速度があがるものではない。(p71)

 ところが、アリヨールの乗組員プリボイは次のように書いている (プリボイ 『バルチック艦隊の殲滅』 ) 「重々しい尾栓が、がちゃんと開かれたり、閉めたりする。2分おきに真赤な炎がパッと閃くと同時の轟然たる斉射の音響が空気を裂く」 このようにロシアの12インチ主砲の発射速度は2分に1発なのである。(p72)

 イギリス海軍の戦艦フォーミダブルのマニュアルでも2分に1発とされており、これ自体は当時の世界標準である。 つまり、主砲について日露とも差がない。 司馬遼太郎はおそらく黛治夫の示唆をうけたとおもわれる。 太平洋戦争期でも、この発射速度の上昇はあまりみられず、1分をやや下回る程度で、黛は日露のような古い話であれば4分の1程度とあたりをつけたにすぎない。(p72)

 だそうです。

 弾火薬庫から続く、砲員の連繋・協同作業や一連の装置の操作手順への習熟、重量物・重機械を扱うに際しての危険防止・安全措置、戦闘中の様々な状況への細かな対応、等々

 そして、射撃時の照準や射撃指揮、等々

 人と機械が関わるものがどのようなものなのか。 実際の艦砲射撃がどのようにしたらできるのか。 これらを考えただけで、本当にカタログスペックにある単なる機械の作動時間で艦砲射撃が実施され、また実施できるものなのかどうか、普通なら簡単に判りそうなものですが・・・・

 まさか当時の砲がスイッチを一つポンと押せば弾火薬庫から全自動で装填されて、引き金を引いていれば次々と発砲されると思っているのではないでしょうねぇ。

 “砲の操作は目盛に合わせるだけ” “あとはブザーに合わせて引き金を引くだけ” などと寝ぼけたことを書くだけのことはあって、これらのことは何一つ知らない、判らない、なんでしょうね、この著者は。 ましてや論述の根拠が “小説” の引用ですか (^_^)

 この著者の言う訳の判らない 「斉射法」 などという “大嘘” も、これから順次このブログでご説明していきますので、お楽しみに。
posted by 桜と錨 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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