2009年11月15日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その63

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第9話 月月火水木金金 (2)

 4月上旬、第二期訓練に入り、日向灘で全機を収容した 「龍驤」 は、細島湾に入港し、生鮮食料を満載して出港、北支中支沿岸に行動した。

 それは飛行機の発艦と着艦、飛行機と艦との通信連絡、艦の防火防水などの応急訓練が主で、副目的として若い搭乗員に戦場の空気を吸わせるということであった。

 第二期訓練は、4月初旬から7月中旬までである。 降爆、射撃、計器飛行、薄暮着艦が主なものであるがそれに、戦闘機と雷撃機との協同訓練が加わる。

 この訓練の目的は、ちょうど楽団が演奏する前に楽器を調整するようなもので、総てのパイロットの意志の疎通と、緊張と緩和のハーモニーをくずさないようにすることだ。 だから、この訓練を 摺り合わせ訓練 と呼ぶこともあった。

 7月下旬、母艦は全機を収容し、約2週間南洋方面に出動する。 出撃と同時に、対潜哨戒、対潜爆撃訓練を繰り返しながら、マリアナ、カロリン海域に進出し、水雷戦隊 (駆逐艦群) を相手に遭遇戦を行なう。

 将来の主戦場となる南海で、スコールに打たれ、酷暑に喘ぎながら、全機急速発艦して索敵攻撃、終って急速着艦というパターンが連日行なわれた。

 ロタ島の近くで小颱風に遭遇した時など、風速30米秒、母艦のローリングが左右15度の中で、全機無事着艦というようなこともあって、パイロット達は遠洋行動に自信を持つのであった。

 8月初旬、6か月半に亘る 「月月火水木金金」 の 「精進落し」 のため1週間の休暇を貰って、父母妻子のもとに帰り、身も心も清々しく 第三期訓練 に入る。

 この訓練では先ず 夜鷹部隊 という夜戦チームが編成される。 九七式艦攻4機、九六式艦爆6機であった。 搭乗員は機数どおりの組数で予備員はなく、整備員と兵器員は約50名が選ばれた。

 この部隊の日課は、午後10時訓練開始、午前1時終了、午前2時夜食、午前3時就寝、翌午後1時起床であった。

 訓練項目は、前半1か月が陸上目標に対する夜間照明と夜間急降下爆撃、後半1か月は、雷撃機と爆撃機の協同攻撃訓練で敵機動部隊に対する夜間の洋上攻撃であった。

 それは、人間のなし得る最善の協同動作と勘による極限の操縦技能の練磨ということでもあった。

 余談になるが、この訓練が始まると、富高基地では飛行場の芝生の上に椅子とカンテラ灯を一つ置いて、搭乗員が黙々と出番を待つ。 この地方の海岸には人家は殆ど見当らず、水際の松林が星空の下で黒々と横たわり水平線は見えない。

 私達はこの松林の一角に爆撃目標を置いて、10万燭光の照明弾を落として、照明弾に照らし出されたその目標に急降下爆撃で1瓩の黄燐弾を投下するのであったが、時々跳躍弾が青白い光を曳いて松林に飛び込み、小火災を起こすことがあった。

 兵器員と整備員が駈けつけて松の火を消しても、水をかけられた黄燐は青白く弱々しく燃え残って、風のある夜はゆらゆらと飛んだ。 それは雨の夜、墓場で燃える人魂の火と同じで、幽霊の出る前奏曲のヒユーツという音も聞こえるのであった。
(続く)

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