2009年11月11日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その59

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第8話 南寧整備隊 (9)

 ところで、落下傘降下した中井、坪井の二人は、まだ八とう嶺の山中にあった。 日没まで4時間しかない。 陸軍戦線の後方とはいえ、完全な安全地帯ではない。 深夜ともなれば、二人は勿論、救援隊も危険である。

 私は南寧の陸軍部隊に連絡をとり、至急救援を依頼した。 陸軍の応答は全く明快果断で、絶対に保証すると確約してくれた。 頼もしい陸軍中尉であった。

 救難隊の尖兵部隊は、中井、坪井機の担当整備班長、竹中上整曹であった。 彼は六尺豊かな男で、肩巾が壁板のように広いので、「張飛」 と呼んでいた。

 彼は、中井が戦線に降下したと聞いた時、大急ぎで日本酒10本、航空糧食の大包み数箇、仁丹、キニーネ等を準備し、烹炊所にあった一斗入りの米櫃に残飯と梅干を詰め込み、空のドラム確に水を一杯入れて、トラックに積んだ。

 そして、彼の整備班総員を日本刀と拳銃で武装し、看護兵一名を加え、合計15人を率いて勇躍して戦線に向かって出発した。

 本隊の中村整曹長は、発煙筒、担架、医療品を積み、看護兵曹を従え、計10名で、約10分遅れて竹中隊に続いた。

 この中村整曹長は、南寧基地進出の時、海南島から中国本土の北海市に上陸し、欽州を経由して約100浬の陸路を、トラック3台を率いて敵便衣隊の中を突破し、1週間を要して、整備用の資材、工具、部品を南寧に運んだ勇者であった。

 話が横路にそれるが、彼は福島県の生まれで、エチオピアのアベベ選手とそっくりの哲学的な顔をした不言実行型の男であった。

 南寧進出の時、基地南方の大平原を進撃中、夕方になって高さ約2百米の鶏卵型の巨岩群の中に迷い込み、便衣隊に襲われたので、或る巨岩の麓の洞窟の中に2台のトラックと約50人の整備員を隠した。

 翌朝、洞窟の中から出撃して戦闘を始めようとしたら、敵は老人と女子供ばかりの乞食の大群であったので、戦闘を止めて食料を彼らに全部恵み与えた。

 そして乞食の大群から慈父のように感謝され、凱旋将軍のように洞窟を出たが、南寧基地に辿り着いた時は、腹を空かし疲れ果てて、彼らが乞食のようであった。

 私は彼らを迎えて、

 「乏しきを分つばかりか、身を捨てて仁を行なった。 いいことだ。 しかし、酒が無くなって困っただろう?」

 と言ったら、彼は真赤な顔をして、

 「いいえ、酒は、ドラム缶に一本ありましたので・・・・」 と恐縮していた。

 当時、エンジンに噴射するアルコールは、メチルアルコールではなく、エチルアルコールで飲用可能であったが、飲むことは絶対禁止であった。 彼は、それを飲んだ。

 「敵に囲まれた時は飲んでもかまわん。 諸葛孔明でも、雲南攻撃の時は敵に毒水を飲まされて苦しみ、携行の火炎放射用のアルコールを飲んだという。 敵前では、時には禁令を冒すことがあっても臨機応変のことだ。 気にするな。」

 と言ったら、彼は頭を掻きながら苦笑していた。
(続く)
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