昨日の車窓からの富士山です。 雲もなく、大変綺麗でした。

行き先は、静岡市清水区の村松にある臨済宗の寺院 「鉄舟寺」

このお寺は元々は久能山東照宮付近にあったらしいのですが、武田信玄によって現在の地に移されたとされています。 江戸時代後半頃からは全く興廃してしまいましたが、これを明治になって山岡鉄舟が復興し、この時に寺号が現在の 「鉄舟寺」 と改められたそうです。
もっとも、私としては他には、源義経所縁の横笛 「薄墨」 があることぐらいしか知らないのですが・・・・
で、何でこのお寺に行ったかといいますと。 毎年この時期にここで、「送電線建設協力会」 という送電線工事会社の組織を中心にして全国から関係者が集まって、送電線工事殉職者の慰霊祭が行われるのです。 式は本堂での法要と、続いて慰霊碑前での合祀祭です。

境内の本堂の横には、大正15年以降全国の送電線の工事に関わって殉職された750余名の方々の慰霊碑があります。 今年は昨年の事故で殉職された2名の方の銘板がこの慰霊碑に納められました。

1つの業種で、業界通して合同しての殉職者慰霊祭というのも、ちょっと珍しいのではないでしょうか。 しかも大正期から現在に至る殉職者総員を合祀した慰霊碑を維持しつつ。
ところで、何故送電線関係のこのようなものが清水にあるのか、ご存じでしょうか?
実は、明治に電化が始まったわけですが、その当初においては送電線敷設という危険な工事の作業方法が判らず、そこで目を付けたのが海軍の艦艇上における運用作業だったのです。 海軍は揺れる海上での高所作業や重量物の取扱は得意で、しかも全天候ですから。
(もちろん、ここでいう送電線とは、皆さんの街中の電柱上を走っているそれではありませんで、高い鉄塔の上を走るあの幹線のことです。)
当時、海軍はしばしば清水港を拠点として訓練を実施しており、この海軍から指導を得たことがその始まりだそうです。
そう言えば、清水にはその当時艦隊が司令部代わりに使ったという、最も縁の深いお寺 「清見寺」 も清水の興津にありますね。
静岡で一泊して、本日昼過ぎに戻りました。 本日の帰りの富士山。 ちょっと雲がありまして、上だけが見えていました。
