ただ、本件の史実としてのご説明としては、やはりこのことを追加しておく必要があるかと考えます。 それは先にも出てきました給炭船及び給水船の動きについてです。
聯合艦隊主力の北進の為には、先に補給・支援部隊や哨戒・警備部隊に準備をさせる必要が出てきます。
そこで東郷は、両者の指揮官に北進の意図を伝えると共に、特務艦隊司令官に対しては艦隊随伴用に足の速い補給船を選んで準備するように指示を出し、他方、哨戒・警備を担当する第3艦隊司令長官にも主力移動に伴う準備を指示しました。 24日のことです。
これについては、「聯合艦隊戦時日誌」 では次のようになっています。


「聯隊機密第三七二号」 の内容については書かれていませんが、それについては 「特務艦隊戦時日誌」 にあります。


(24日夕に特務艦隊司令官は 「封密命令」 を受け取ったとされています。 これは先の25日の 「聯隊機密第三七三号」 と同じものと考えられますが、残念ながら確認はできません。)
そして、特務艦隊司令官は、その麾下補給船の中から給炭船3隻 (富士山丸、大弧山丸、宇品丸) と給水船1隻 (広島丸) を選んで北進準備を命じます。
(「聯合艦隊戦時日誌」 では 「宇品丸」 ではなく 「芝罘丸」 とされています。)
がしかし、その翌25日には、東郷は主隊随伴用に準備をさせた補給船を 「聯隊機密第三七九号」 を以て同日午後に先行させるよう指示します。 これを受けて特務艦隊司令官は、その4隻を 「特隊機密第五五六号」 を以て同日の夕刻に出港させることになります。

この後のことは既にご説明したとおりで、26日になって情勢が急展開し、25日に先行させた補給船4隻は美保関において待命となります。
これを要するに、24日に艦隊随伴用の補給船の北進準備が命ぜられ、翌日には先行指示を受けて出港、ついで翌々日には途中待機となったわけです。
これが東郷の “悩み” の末の結果でなくて何でしょう? そしてそれによる聯合艦隊の “動き” で無くて何なんでしょう?
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「別宮暖朗本」 がターゲットとする司馬遼太郎著 『坂の上の雲』 は、皆さんご存じのとおり 「サンケイ新聞」 に連載され始めたのは1968年からのことです。
当時は本項で引用した史料や、今ではその存在が広く知られるようになった海軍軍令部編 『極秘明治37、8年海戦史』 などは、それを保管する防衛研究所図書館でも整理が出来ていない等の理由によって、まだ一般には非公開だった時代です。
したがって 『坂の上の雲』は、今日の目からすれば確かに史実の点で幾つかの指摘されるところがあります。 が、しかし、その執筆当時のことを考えならば、司馬遼太郎の文筆力は勿論のこととして、歴史小説としての海軍史部分だけをとっても、驚嘆に値する実に素晴らしい作品であると評価せざるをえません。
そして、その後一般公開されるようになったこれら史料は、例えば初出が1982年からになる児島襄著 『日露戦争』 においても引用され、本項でご紹介したものは総て出てきます。
翻って、この 「別宮暖朗本」 はどうなのか? 2005年の出版時点において、これら史料を全く顧みておらず、“屁理屈” としか言いようのない主張をもって “誤り” を書き連ねています。
この著者は口では “これが戦史だ、史実だ” などと言いながら、これらの史料を、自己主張を通すためにワザと無視をしたか、でなければ全く調べていなかった (知らなかった) か、のいずれかでしかあり得ません。 お粗末の一言です。
(注) : 本項で引用した各史料は、総て防衛研究所図書館史料室が保有・保管するものからです。 なお、赤線は説明の都合上管理人が付けたものです。
現在大学の卒業論文の題として日本海海戦について書いているのですが、密封指令の「別に与えたる訓令」について、『極秘 明治三十七八年海戦史』のみを参考にしていたので何を指すのかがわからなかったのですが、こちらの記事で理解することが出来ました。参考にさせていただきたいと思います。
気ままなブログですが、ご覧いただいていることを感謝します。 何某かでもお役に立てたなられば望外の幸せです。
卒論、頑張って下さい。 日露戦争はまだまだ研究し尽くされているとは言い難いですので、良い成果が出ることを祈念いたします。