2009年10月12日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その30

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第5話 南支仏印作戦異聞(1)

 昭和14年10月、私は航空母艦 「龍驤」 から第十四航空隊艦爆隊長に転任した。

 この部隊は、昭和15年一杯援蒋ルートの遮断と仏印進駐に協力することになり、広東、海南島、南寧、ハノイ、サイゴンに駐留したのであったが、作戦上のことはともかくとして、当時私達がこの地域の住民に対してどのような民族的意識で接したか? 隊員達の若いエネルギーと民族意識との関係はどうだったか? ということについて紹介しよう。

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( 原著より  南寧飛行場にて 後列中央が高橋大尉 (著者) )

 この地域には、漢民族、南寧蛮族、僮族、安南民族が住んでいる。 一方、この地域に駐留した私達日本人は、人種的には 「原日本人」 であるという考え方を持っている者が多かった。 但し、「原日本人」 というのは現代の人類学者が言うところの 「原日本人説」 ではない。

 戦前派の私達は、日本人は天孫降臨民族の子孫であると教えられただけで、日本民族が何時、どういうコースで、日本列島に渡来したか、大陸の民族的古里は何処なのか、蒙古、満洲、北方五胡、韓などの民族とどのように混血したか、等については勿論のこと、神話学、民族学、言語学などについても全く知らなかったので (専門学者の著作が市販されていなかったので)、中学校で教えられた程度の天孫降臨的原日本人説を信じていたわけだ。

 ところが、この地域に住んで、日本人そっくりの農夫やおはぐろをした婆さん (私の祖母はおはぐろという歯を黒く染める習俗を守っている人であった) 達に会うと、私達の天孫降臨民族などという幼い知識や純血意識などは跡形もなく消えて、それに代って、強い雑種意識が頭を擡げてくるのであった。

 特に若い兵隊達はあの娘は日本人によく似ているから、きっと倭寇の子孫だろうとか、山田長政の末裔であろうとか、中には、日本海軍は日露戦争以来よく南支仏印に行動したから、土民の中に自分達の異母兄妹がいても不思議ではないなど、他愛のないことを考えているようであった。



 ところで、数百人もの血の気の多い日本人が数か月間も一つの地域で異国人と接触すれば、いろんな事件が発生するのは当然である。

 昭和15年春、第十四航空隊の艦爆隊はい洲島 (前出)、南寧方面での作戦が一段落したので、約一か月海南島海口の基地に帰って来て休養した。

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( 原著より  海口飛行場の九六艦戦 )

 或る雨の日の午後、支那料理を食べようと思って、若い中少尉を5、6名連れて海口の町に外出した。

 海口は、人口2万余の地方都市である。 海南島の北岸にあって、約7浬の瓊州 (ちょんしゅう) 海峡を隔てて、雷州半島と対い合った商港だ。 その郊外にある私達の飛行場が標高約50米の台地上にあった関係で、海口市は、摺鉢の底の雑踏の市場という感じであった。

 港には、数百隻の 「ジャンク」 が舷を接してひしめいていた。 商店街には、支那織物、黒壇の家具、雑貨、食品等も豊富であった。 町の中央部に青物市場があって、「ニンニク」 の匂いが猛烈であった。 中国に暫くいると、ニンニクの匂いは人間の五感を柔らく包んでくれる。 特に、汗と油の匂いがニンニクに加わると空気に味が出るように感ぜられる。
(続く)

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