2009年10月11日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その29

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第4話 死刑執行人(4)

 私は、彼に対する寛容な処置を願った。 しかし、分隊内には整備員も兵器員もいる。 所詮、私の願いは空しかった。 他人を罵って自分の非を糊塗する人間の多いことの汚ならしさを、この時ほど憎んだことはない。

 一週間ばかり経った日の夕方であった。 彼は、明日の攻撃に参加させてくれと言って来た。 一週間の苦悩は彼の童顔を消してはいたが、元気で顔色も良かった。 私は彼の目を見つめた。 静かに澄んだ眼には、何物をも恐れぬ強さがあったので、彼を江草大尉の所に連れて行った。

 江草大尉は長い間黙って彼を見つめていたが、その目に涙が光っていたので、許可を得たと判断して彼を次の攻撃に参加させることにした。

 彼は次の攻撃で、南京市の中央造兵廠内の高角砲台に撃突自爆したのである。


 彼の最後の急降下は見事ではなかった。 降角が途中で変った。 目をつぶって急降下したのかも知れない。 或いは、恨み多い高角砲台を物色したのかも知れない。 偵察員は欠員であった。 彼の同僚先輩が出発整列の時、何の屈託もなく彼に話しかけていたのが、私には何より嬉しい想い出となった。

 しかし、自分の頭を叩いて泣く彼を、卑怯者という名で葬り去らねばならない理由がどこにあったか。

 戦争そのものは冷厳である。 敵を前にして逃げることは、法に照らして言えば死罪であったことは事実である。 戦場で卑怯の名をかぶせられれば、生きていられないことも事実であった。 しかし、同じ隊員である同僚先輩までが、冷酷無惨に彼を見捨てるような態度はどうしたことであったのか。

 私も、彼が死を択んだことを肯定する。 哀れであっても、彼を救う方法は発見できなかった。

 江草大尉も、恐らくその方法がなかったからこそ終始言葉もなく、最後には泣いて彼の死を容認したのだと思う。 彼の涙も死の冷厳さの前に謙虚に自分の非力を思い、無常に泣いた涙ではなかったか。 それは、当時の日本の一般社会、或いは、日本人の常識であった。

 しかし、私はこの常識に対して反発を感ずるのであった。 いやしくも軍隊は死を見つめるところなのだ。 一般社会の常識で人の死を処理してはならないところなのだ。

 つまり、「一般社会すらそうではないか。 軍隊では絶対だ」 という考え方は、「軍隊は一般社会とは違うのだ」 と言いながら、「死については社会常識を利用しようとする」 ことであり、矛盾していると思うのであった。

 私は言いたい。 修練足らず、思慮も浅く、生来のんびりと暮らしてきた若者が、突然の恐怖によって反射的行動に出た時にどうするか? その者に使命観、責任観を説明するか。 人生観、国家観を説き聞かせるか。 倫理、宗教を説くか。

 こんなことは何れも「イエス」であり、同時に「ノー」でもある。 極論すると、そんな付焼刃はどうでもよいと思う。

 そんなことよりも、最も大切なことは人間的思いやりだと思う。 神のような無限の愛ではなくとも、素朴で誠意のある愛情こそ唯一の救いだと思う。 そして、彼の択ぶ自主的判断と行動を、彼の身になって労ってやることだ。

 この単純な愛情は、彼の属する部隊全般が平素から長い間に積み上げて置かねばならないことだ。 それがなかったから、彼を完全に見放したことになったのだ。

 彼は不幸にも戦友達の白眼視の中で死を択んだ。 江草大尉の涙も、恐らく彼の目には入らなかったのではあるまいか。 そして、私も冷酷な死刑執行人の立場となったのであった。 彼の死は、私には強い衝撃であった。



 彼の遺骸は、南京市無名戦死の墓に祭られた。 当時の日本の新聞は、彼の勇敢を伝え、彼の故郷にも立派な墓がある。

(第4話終)

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