2009年10月04日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その25

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第3話 闘  魂 (3)

 やがて、機体の燃え残りと土饅頭墓が見つかった。 墓の土は新しい。 掘り返すと、疋田と偵察員の遺体や飛行服が現われた。 私達は遺体を焼き、遺品を収集して基地に帰った。

 この土饅頭墓は、日本兵が作ってくれたのだろうと簡単に思って別に詮索もしなかったのであるが、これは中国兵が作ったものであった。 私はこのことを陸兵から聞いた時、井戸堀りの日本の老兵を想い出した。 中国兵の中にも、素朴で誠実な人がいて、黙々と鍬をふるってお墓を作ってくれたのだと思うと、今までの敵愾心のやり場に困るのであった。

 昨日まで、強敵な敵愾心をむき出しにして戦った中国兵、無表情ですばしっこい恐ろしい老女。 これらの人々と、日本兵の墓を作るために 「もっこ」 を担いだ中国兵とが、どうしても網膜の中で溶け合わなくて困った。

 静かに潜めた敵愾心はなかなか解らないものだが、素朴で優しい涙心も、一層理解し難いものだと思った。 支那との戦いには理解し難いことが多すぎた。

 激戦の一日を終えてベッドに横たわった時、過去に習ったことと今日一日のことを併せて考えて、自問自答してみるのであった。

問: 戦闘とは何か? 机上で学んだ指揮統率、命令服従、軍紀士気、倒れて後已む敢闘精神はどこから生まれるのか?

答: 飛行隊指揮所に整列して戦況を聞いた刹那から、私達を支配したのは動物本能の敵愾心である。 他のことは解らない。


問: 戦い疲れて眠る肉体を、明日の戦いに駆り立たせるものは何か?

答: 自分の部下を傷つけられた烈しい怒りであり、同胞の焦眉に迫る危急を救うことだけであって、指揮、命令以前の問題である。


問: 戦略的攻撃に生命を賭する闘魂はどこから生まれるか?

答: 指揮官の命令を受け、周密な実施計画と予想される戦果及び以後の作戦の展開予想を聞いて、私自身が自主的に納得した決心に基づく意欲である。


問: 戦争に対する本質的な心の傷みはどうか?

答: 戦争勃発時の、中国膺懲の使命論は単純に納得できなかったが、日中の歴史的必然的な戦争の不可避性は理解していたし、時代の風潮もあって良心的傷みは強くはなかった。 一次南京爆撃で一般市民に被害の及ぶことにも、僅かの同情心しか持つことができなかった。


 以上、どこかチグバグな気持はあったが、ムード的にそれを忘れてよく眠った。

 二つの国家、民族の、個々の構成員の国家観、戦争観、死生観が、国家戦略、軍事戦略を通して末端部隊の作戦実施にどのようにつながっていくか? それを考えるには私はまだ十分に成熟していなかった。

 また、国家観、戦争観はともかくとして、死生観と責任観と戦闘との関係を実戦の場でどうとらえたかについては、若さによる猪突猛進の中で感情的に生まれてきた闘魂であった。

 本来、戦争は両国の国家的若さと若さとの衝突であり、戦闘とは、個々人の若さと若さの激突であると言えるのではあるまいか?

 ともあれ、若さとは激しいものであったと思う。
(第3話終)

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