2009年10月01日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その22

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 猪突猛進 (11)

 11月11日夜、敵60万の大軍は、上海周辺から総退却を開始した。 杭州湾の敵前上陸が転機となったようであった。 私は杭州方面の偵察に行った。

 日本陸軍は金山衛と杭州の間を南京へと、長蛇の列を作って進んでいた。 銃を天秤のように担ぎ、悠々たる進撃であった。 敵は一兵も見えなかった。 これで第一段の作戦は終ったと思った。

 第二段作戦に入って、南京も簡単に陥落するであろう。 そして、恐らく戦争は終るであろう。 2か月の戦闘で、日本陸軍の強さをつくづくと知った。

 また、中国陸軍の神出鬼没の駈引の妙も、よくこの目で見ることができた。 加えて、江草、南郷両大尉の教えを吸収することもできた。 僅か2か月であったが、永い永い戦闘のようであった。

 私の飛行機は杭州湾を横切り、やがて寧波港の上空にさしかかった。 そこには、日中両軍ともに一兵も見当らず、静かな美しい街が見えた。

 14世紀初頭から16世紀後半にかけて、約250年間、数十回に亘って中国を襲った日本の倭寇は、この寧波港を数回も占領した。

 また、1840年には、阿片戦争で英海軍に占領されたり、この都は数奇な運命を辿ったのであったが、眼下に見える袋のような湾と、三つの城壁に区切られた美しい市街は、何事もなかったように、秋の陽ざしにくっきりと浮かび上がっていた。

 この古都のすぐ南方に、天台山が見えた。 日本の平安文化の基礎を築いた、比叡山天台法華宗の元祖たる中国天台山の宗門は、深山幽谷の中に多くの古刹を抱いて静かに眠っていた。

 日本天台宗の開祖最澄が、9世紀初頭、寧波港から天台山に登った道が、山林の間に見え隠れしながら山頂に達していた。

 この道を、一歩一歩登った伝教大師最澄は、その当時、日本人の救済と、日本の繁栄のために、猪突猛進の気概を内に秘めて、この天台山を仰いだのではなかったか?

 いつか飛行機は、杭州湾上を上海に向かっていた。 金山衛の城壁が、間もなく左前方に見える筈であった。

(第2話終)
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