2009年09月30日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その21

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 猪突猛進 (10)

 11月5日、陸軍の上陸は、未明に着岸し、黎明を期して城壁を突破する、ということになった。 私達6機は、午前3時、暗黒の公大飛行場を離陸した。

 小雨が降っていたので、各機は別々に杭州湾に出て、最も金山衛に近い輸送船上空に集合して、一小隊は南方から、二小隊は東方から進入する方法を取った。

 爆撃は成功し、城壁には巾約3米の破口が2か所にできた。 私は機上で喝采を叫んだ。 これで、味方陸軍の何百人かの生命を救うことができたと思った。

 ところが、2、3日後に解ったのであるが、陸軍が城内に突入した時、敵兵は既に一人もいなかったという。 また、猪突猛進の槍の穂先をかわされたのであった。

 そればかりではなく、公大に帰投する時、飛行場は濃霧に閉ざされ、二小隊3機は陸軍の呉淞飛行場に不時着し、私と3番機は、長江河口の崇明島に不時着して、対岸から小舟による襲撃を受け車輪がパンクし、二番機は浦東地区に墜落戦死したのである。 惨憺たる敗北であった。

 戦死者は、野田一飛曹と野亀二飛曹であった。 野田、野亀は頭文字の 「野」 が重なり、それを気にする者があったので、組合せを変えようと思っていた矢先の戦死であった。

 野田、野亀の遺体を浦東地区から収容した時、江草隊長は、遺骨の前で涙ながらに言った。

 「 二人は城壁を突破して、多くの同胞を放ったと思って、安心して眠ったと思う。 諸君も、それを称讃してやることが、二人を成仏させる道だと思え。」 と。

そして続いて、

 「 闘争のための闘争をしてはいけない。 線香花火のような猪突猛進は、静かに燃える炭火にはかなわぬものだ。 二人は炭火のように燃えた。 それも、栗や、くぬぎの堅炭のように、長く強く燃え尽くして、美しく、真白い灰になった。 二人に学ばねばならない。」 と。

 その意味は、

 「 闘争のための闘争からは戦闘の理念は生まれてこない。 戦う人間は、戦争の大局的展望に立って、闘志を燃やせ。 そして、信じるところに向かって猪突猛進しろ。」

 と言われるのであった。

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( 原著より  前列左 高橋中尉 (著者)、 右 江草大尉 )

 南郷大尉の先日の教えも同じであった。 私は2か月間の戦闘の後、初めて闘志が心の奥底から盛り上がってきたのであった。 それは、理論ではなく、実感であった。
(続く)

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