2009年09月27日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その18

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 猪突猛進 (7)

 余談になるが、小川中尉と私が、〇〇大尉の捻挫の次第を聞いて大笑いをしたら、江草大尉に叱られた。

 「 平時には、教育訓練を積極的に効率よく実施できる人でも、敵弾が飛んでくると、何もできなくなるような人もあるのだ。 そういう人を過大に侮蔑してはいけない。」

と言われた。

 私はこの裏に、「勇気ということを過大に評価し過ぎると、暴虎馮河のように猪突猛進する者を甘やかすようになって、戦闘は収拾ができなくなる」 という意味があると感じたので、江草大尉に質問した。 すると、

 「 勇気は軍人の最高の徳目ではあるが、唯一の徳目ではない。 戦線は最前線ばかりではない。 弾の飛んでくる所では胴ぶるいがして、飛行機のハンドルが握れない人でも、戦場の後方に在って、計数に明るく、緻密で、要領よく事務を捌(さば)き組織の運営にそつがなく、他人を傷つけることが無ければ、そのような人も亦軍隊に必要なのだ。」

と、隊長は言った。

 「 何故、そういう人を戦場に配員するのですか。」

と、喰い下がったら、

 「 戦場に来てみなければ、人事局も、多分当人も解らなかったからだ。」

 「 隊長はそういう人を立派だと思いますか。」

と言ったら、笑って答えなかった。

 〇〇大尉の捻挫の故もあって、私達の憤激は益々つのった。 隊長も同じように、闘志がありありと動作に現われてきた。 私達は公大に最も近い戦線から、しらみつぶしに爆撃をやった。 敵がいてもいなくても。


 9月2X日であった。 また、最悪の事件が起こった。 戦闘機隊の〇下大尉が、上海市南方約五浬、松江附近で不時着し、機体が転覆して人事不省となり、捕虜になってしまったのだ。

 〇下大尉は、9月19日の南京強襲の時、九六戦12機で、P26、カーチスホーク20機と空戦を交え、15機を撃墜した (中国発表13機) 勇者であった。

 〇下大尉は重慶で自殺されたが、戦死の認定を受けるまでの夫人の苦労は、計り知れないものがあった。 命日は9月26日になっている。 気の毒な運命の人であった。

 こんなこともあって、戦闘は一進一退を続けながら、私達は闘志を燃やして、塹壕戦線に激闘を展開した。 次々に起こる戦闘の複雑な推移に驚き、怒り、悲しみながら、敵を求めて猪突猛進するのであった。

 そして9月下旬、私達は、中支方面軍最高司令官、陸軍大将松井石根閣下に呼び出され、感謝状を貰った。 私は、戦果が感謝状の文句のとおりとは思わなかったが、本当の功績があったとすれば、それは、ただ前面に敵がいて、そ奴が手強い奴であったから、猪突猛進した結果であろうと思った。
(続く)

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