2009年09月23日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その15

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 猪突猛進 (4)

 このような感情の反面、海軍軍人の立場として、日本の国家目的たる 「暴戻 (ぼうれい) 中国庸懲 (ようちょう) 」 という政府声明は十分理解していたし、また、戦う軍人が、その相手を憎むことができないということが、軍人として最大の恥だということも、百も承知であった。

 と言って、歴史的事実が消え去るものでもなく、私は、思考が何回も同じ所を空転して、消化不良の糟が胃袋の底に貯っていくような気分になるのであった。 その結果として必然的に、闘争そのものの中に闘争目的を求めることによって、心のしこりを拭い去ろうと努力したのであった。

 しかし、若い私には、そこにも納得できる解答は得られなかった。

 われわれ軍人が、敵に向かう時に、何も考えないで猪突猛進して、目前の敵を倒すことは、剣の理の、狭義の勝敗の理に忠実であるということではあるが、それに徹して満足するということは、軍人の閉鎖的なエゴイズムではないか。

 それは自らの人生を狭めるばかりでなく、国家に忠誠を尽くすということとは、信念的には必ずしも繋がらない。 また、こういう在り方は、軍人としての意気地だけで戦うということになって、命令、服従は形式ばかりになる恐れもある、と思うのであった。

 そこで私は、「剣の理」 の 「活と殺」 と 「生と死」 の理念を、もっと深く追求理解しなければならないと考えるのであったが、そうすると、戦争全般を広く追求することに逆戻りすることになって、思考は出発点に戻ってしまうのであった。

 結局、いくら頭の中で追求してみても、結論を得ることができないのであった。 しかも敵は目前にあり、攻撃開始は明早朝に迫ってくるのであった。

 私の上官江草隆繁大尉は、思慮周密で私心なく、戦争を大局的に考え、部下の心理をよく読む人であった。 また、戦闘機隊にも、そういう人々がいた。

 そこで私は、よく解らん事は、やってみてその戦闘体験の中で、誠実に謙虚に、対中国感情を追求整理し、それでも解らない事があれば、これらの人々に聞けばよい、と思うのであった。

 こうして、日支間にわだかまる歴史的、総合的感情のしこりを清算することができないままに、先輩達とともに戦うことになったのであった。 そう決めると、少し楽な気持になって、宿舎で一杯飲んで明朝を待つのであった。

 ところが、明朝を待つまでもなく、その晩から戦闘が始まったのである。
(続く)

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