2009年09月22日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その14

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 猪突猛進 (3)

 9月10日、私達の作戦準備は完了した。 艦爆隊の任務は、戦闘機隊と協力し、南京を強襲して敵戦闘機を誘い出し、航空撃滅戦を展開することと、塹壕戦に協力することであった。

 艦爆隊の若い兵隊達は皆明るく朗らかで、功名手柄を競うこともなく、蒋介石の撤底抗戦の声明などは、白髪三千丈式の誇張に過ぎないものだと思って、気にも止めなかった。 そして、国のために第一線で懸命に働いているという満足感で、胸がふくらんでいた。

 ところで、この頃の私個人の気持を申し上げると、私も若い兵隊達と同じように、やる気十分ではあったが、心の隅に、何か釈然としないものがあって、一途に燃え上がれない状態であった。

 それは、攻撃すべき目前の敵に対し、まだ、心の底からの憎しみが湧いてこないということであった。 或いは、中国の何を憎むべきか、まだ十分納得できないものが残っていたと言う方が適切であったかも知れない。

 その故か、私は爆弾燃料搭載のために、急がしく飛行場を駈け廻りながら、いつか周水子の三人の子供達のことを思い出すのであった。

 あの子供達も、敵国人であることに変りはないが、周水子での最後の別れに、劉少年を抱き上げた時、泣きながら私の軍服の裾をしっかり握って放さなかった彼の柔らかい指と、オッパイ臭い膚の匂いが、わが子のように思い出されて仕方がなかった。

 このような思いは、日本と中国との歴史的繋りの一つの象徴であろうが、明日から大いに戦わなければならないという気持とは、全く裏腹のものであった。

 また私は、中国辛亥革命 (別表参照) 当時の孫文や蒋介石についても、いろいろと回想するのであった。

 大正4年、若かりし日の蒋介石が、孫文の側近幕僚の一人として、辛亥第三革命の動乱に乗じて、上海在泊中の清朝の砲艦に抜刀して突入し、続いて、上海市南市の警察を襲撃したことがあった。 その時、蒋介石と一緒に行動したのは、日本の頭山満 (とうやま みつる)、犬養毅らの輩下の若者達であった。

 更に時代を遡って明治44年、革命勃発の時には、頭山、犬養 (昭和6年総理大臣政友会総裁) は日本の同志を率いて上海に進出し、蒋介石とともに、清王朝の将軍、袁世凱と戦い、その同志達は上海附近に血を流したのであった。

 また、明治33年には、日本の志士山田良作らが、「青天白日章」 の中国国旗を日本で作り、(中華民国国旗の初制定) それを清朝打倒の旗印として、広東省恵州に掲げ、中国人の先頭に立って清軍に突撃したこともあった。 この時にも、日本の玄洋社の若い浪人達は、上海で血を流した。

 これ等の日本人の血と汗は、現在敵国の総帥たる蒋介石や中国国民党領袖達の、若かりし日の脂と汗と一緒になって、この上海の大地の中に滲み通り、今も脈搏っているように思えてならなかった。 それは僅か30年前に、アジアの黎明のために、日中ともに立ち上がった時のことなのだ。

 今、日本に対して撤底抗戦を叫ぶ蒋介石は、私達よりも、もっと切実にこれらのことを想い出しているに違いないと私は思うのであった。 そして、このような同志感や親近感も、戦わねばならない相手に対する感情としては、いらだたしいものだった。

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( 原著より  別表 「辛亥革命一般経過」 )

1840年アへン戦争、英国、中国に出兵
1842年南京条約 (香港の割譲)
1851年南京条約の結果、中国は銀の流出多く、増税を行なったため農民暴動太平天国の乱が起こった
1864年英国は清朝に協力、太平天国亡ぶ
太平天国の残党、滅満興漠の秘密結社を結成、辛亥革命の母体となる
1895年辛亥革命の総裁、孫文は、日清戦争に乗じ、清朝に反抗し挙兵、失敗して、日本を経由して英国に亡命
1898年孫文、日本に帰り、日本の同志、犬養、頭山、平岡浩太郎、宮崎滔天らが孫文を助けた
1900年
(明治33年)
山東省の義和団の蜂起に応じ、孫文の同志鄭弼臣は山田良作らとともに恵州に一万余名で挙兵したが袁世凱に討滅され、孫文日本を去る
1905年日露戦、孫文日本に帰る
1911年
(明治44年)
中国は鉄道国有外債問題で政治不安、武昌に軍隊の反乱起こる 全国の学生青年がこれに参加 (毛沢東らも) 革命軍勝つ
1912年孫文革命政府の臨時大総統に就任
中国国民党を結成、中華民国設立
孫文と袁世凱妥協 清朝皇帝を退位させることを条件に孫文に代って袁世凱大総統となる
1913年袁世凱は国民党を弾圧し、党員を追放、暗殺し、反革命成功す
第二革命勃発 孫文等は袁世凱に反抗して破れ、亡命して日本に来る
1915年袁世凱、皇帝に即位
第三革命勃発、各地で革命軍勝つ
1916年袁世凱急死 袁政府と革命軍和平 (大正五年) し、辛亥革命終る

(続く)

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