2009年09月08日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その8

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第1話 三人の童子 (6)

 それから二、三日経った夕方、三人が、とぼとぼと指揮所の裏を歩いているのを見た。 私は、彼らを哀れだとは思うまい、助けてやろうとも思うまいと心に決めて、ただ無心になって彼らに近づいて行った。 そして、飛行場を眺めながら、暫く彼らと一緒に歩いた。

 彼らは私を恐がりはしなかった。 私はキャラメルを出して、その一つを食べ、黙って彼らの前に差し出した。 彼らの目を見ないで、無理に受け取らせようとも思わないで・・・・。

 すると、一番幼いきかん坊が、キャラメルを一つ口に入れて、急いで食べてから立ち止まり、私を見上げて 「先先 (シイサン)、謝謝 (シャシャ)」 とはっきり言った。 よほど腹が空いていたのであろう。 私は三人に一箱ずつやった。 暫く一緒に歩いてから、黙って別れた。

 翌日から、彼らはよく指揮所に来るようになった。 しかし、直ぐ立ち去った。 まだ親を捜している様子であった。

 翌日、彼等が指揮所に来た時、彼等に、ここで働くように言った。 なかなか理解しなかったが、彼らに木箱と食器を与え、雑巾を出して机を拭くことを要求すると、やっと納得したようであった。

 昼食の時、彼らの食器にも配食し、新しい箸を与え、小さい木箱の上に一つずつ夏みかんを置いてやり、従兵の机の傍で食事をするよう教えた。 私達は彼らに、太郎、次郎、三郎の名前を付けて従兵の助手にした。

 太郎は指揮所の掃除当番にした。 次郎は下士官兵搭乗員室の雑用夫にした。 三郎は士官室の従兵付きにした。 三人は日本語をよく覚えた。 三郎は、私達にお茶を運び、灰皿を替え、食器を並べたり、従兵に教わったとおり、凡帳面によく働いた。

 三人は、理由なく食物を与えられることを嫌った。 夜は家に帰ったが、帰りの道筋は人に知られないように注意していた。 どんなに苦しくても涙を見せず、泣き叫ぶこともなかった。

 立ったまま物を食べず、所持品は人に見せなかった。 立ち小便をせず、チンチンを絶対に人に見せず、大便をしても手を洗わず、生水は飲まなかった。 野球、庭球のゴムボールをとても上手に扱い、余暇には、それで無心に遊んだ。

 私達は三人を、午後2時から5時まで自由にしてやった。 時計を見せて、短針の回転を教えても分らなかったが、5時頃になると、どこからか戻って来るようになった。 部落へ親を捜しに出かけるらしかった。

 帰りに2食分の乾パンをやった。 お茶の葉をやると、三郎は特に喜んだ。 乾パンを受け取ると、三人は私達がどんなに注意をしていても、いつの間にか消えるようにいなくなった。 そして翌朝、裏門でゲームをしている姿があった。

 私達の車を見るとゲームを止めて、「もうそんな時間か」 というような顔をして自動車を追って駈け出し、5、6分経って士官室に現われた。

 これが三人の童子の日課になった。 苦難の中に育った子供は賢明であった。 今日のあることを予見して、子供を躾けた親達は、もっと賢明であると思った。

 艦爆隊員は、誰もが彼らを可愛がるようになった。 それは、決して小犬を可愛がるような単純な愛ではなかった。 人間として心から尊敬し、愛したのであった。

( 続く )

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