2009年09月05日

『飛翔雲』 第2章 日中戦争時代 −その5

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第1話 三人の童子 (3)

 中国は水が不便だと聞いていたが、この附近は綺麗な湧水があり、水道もあったので、井戸掘り作業は行なわれなかった。 大連の良港が近かったので、長期の食料、燃弾の貯蔵を考える必要が無く、基地設営は極めて簡単で、僅か2日で済んだ。

 設営を終えて日が暮れて、宿舎に帰ってローソクの明りの中で、灘の生一本で祝盃を挙げ、汚れた藍臭い蚊帳の中で、初陣の夢を結んだ。

 3日目から、私達はあらゆる事件に備えて即時待機に入り、北京、天津、保定の周辺飛行場の列線に並んだ敵機を急降下爆撃する計画を練った。 しかし、敵状は全く不明であった。

 翌日も敵情は無かった。 北京周辺の敵機は、遠く奥地に去り、敵の飛行場は空であるということであった。 山東半島、青島附近にも敵の蠢動はない模様であった。

 5日目も、敵情は無かった。 しかし、奥地に隠れた敵は、いつ北京方面に急速移動して来て、周水子を奇襲して来るかも知れない。 私達は緊張をゆるめず、大作戦を夢に見ながら、狭い待機室を動かなかった。

 午後、碁、将棋、トランプ、野球道具、バレーボールセット、等が届いた。 内地からの補給船が大連に入港したのであろう。 早速バレーコートを作った。 夜、ビールが配給になったので爛のついたようなビールを飲んだ。

 翌日も待機だけで日が暮れ、夜はローソクで、また燗のついたビールを飲んだ。

 翌7日目、0900、「全機30瓩爆弾搭載、信管は瞬発」 と下命された。 隊員達は緊張し、「瞬発信管だから、飛行場の攻撃だな、どこだろう」 と目を輝かした。 しかし、私は敵の便衣隊 (ゲリラ) が遼河上流に機雷十数個を放流し、それが渤海湾を漂流中という情報があったことを知っていた。 更に、その他の敵情は何も無いことも知っていた。

 渤海湾は九州の2倍の面積がある。 そして、この海は黄土を溶かして黄色いのだ。 その海面下2、3米を黄色の機雷が流れている。 これを人間の肉眼で見つけるのは、浜の真砂の中から、万年前に散った砂金を捜すよりも難しいだろう。 私は張り切った気持の処理に戸惑い、隊員達にどのように作戦命令を説明していいか解らなかった。
( 続く )

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