著 : 高橋 定 (海兵61期)
第1話 三人の童子 (1)
ここは遼東半島の南西端にある周水子飛行場の裏門である。 周水子という小部落は旅順要港と大連港との中間にあって、二つの巨大な港湾都市と軍港に挟まれた小さな労働者の町という感じであった。

( 1956年版の米軍地図から )
この飛行場は満州の空の玄関であったが、当時は、半島の尖端部の巾約4百米、長さ約8百米の矩形の平坦な黄土地帯を飛行場と呼んだだけのもので、利用度は低く、滑走路があるわけではなく、芝生も張ってなかった。

( 現在の大連周水子国際空港 ただしこの場所が本稿の周水子
飛行場跡かどうかはわかりません 元図 : Google Earth より )
満州航空全社の定期便が一日に2、3便就航していたが、昭和12年7月の開戦と同時に軍用機が進出して来たので、軍用臨時便が主となり、その間隙を縫ってDC3が細々と運航されているという状態であった。
飛行場周辺には柵があるわけではなく、裏門と言っても門の代りに可搬式の番兵塔が置いてあって、一人の水兵が銃剣を持って立っているだけであった。
裏門から周水子の部落に四間道路が通じていた。 高さ5、6米の楊柳の街路樹が僅かに緑を添えていたが、その外には周囲に樹木はなく、舗装されていない砂利道を走るトラックの砂塵が緑を消してしまっていた。
番兵塔の前の、道路を挟んで反対側に、三人の子供がしゃがみ込んで路面に書いた線図の上に小石を並べ、それを順番に動かして、相手の石を取ったり取られたりしている。 どんなゲームをしているのかよく解らないが、とても真剣な様子である。 綺麗に剃った三人の頭がくっつきそうだ。
真夏というのに、三人とも長袖で、裾も長い厚地の綿服を着て、おまけに長いズボンを穿いている。 兄貴のお譲りを着ているのであろう、上着もズボンもダブダブだが、風通しはよさそうではない。 服地の色は仕立てた時は藍色であったらしいが、手垢で黒く汚れている。 所々に大きく修理した黒っぽい布が当ててある。 三人とも綿布薄皮底の靴を穿いている。
三人の内の一人は5歳くらい、辮髪が長く肩に垂れている。 一重瞼の切れ長の大きい目、目尻が少し上がり気味だ。 長く美しい八の字眉毛の端がピンと跳ね上がって、きかん気を示している。 漢人のようだ。
あとの二人は7、8歳、真直ぐに立った額と頭頂部を広く剃り上げているが、額の感じが韓国人のようだ。 手足がすくすくとどこまでも伸びそうに見える。
後頭部に円形に残した髪を短くじゃん切りにしている。 略式の辮髪というものであろう。 この髪型は、元来古代アジア北方民族の習俗であった。 清王朝が漢民族に強制したものであるが、1911年に解除になった筈だのに、まだその風俗を残しているようだ。
顔色は、三人とも日本人より黄色が強く、皮膚に艶がないが、口もとから頬にかけてのあどけなさは日本の子供と変わらない。
三人は番兵を気にしている様子はない。 番兵も子供の頭越しに小石の動かし方を見ている。
( 続く )