2009年08月31日

『飛翔雲』 第1章 揺藍時代 −その8

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第6話 フラットスピン事件

 九〇式戦闘機の飛行審査中のことだから、昭和4年頃の事件だと思う。

 九〇式戦闘機は、スピンを長くやっていると機首を上げてフラットスピンに入る癖があった。 フラットスピンに入ると回復は不可能である。 そこで、新しい機種の性能審査をやる担当者は、その機材がスピンに入って何回転すれば機首を上げ始めるか試験をやっておくことが安全上欠かせないことになった。

type90_fc_01_s.jpg
(九〇式艦上戦闘機)

 この実験を担当したのが、岡村基春大尉 (当時) であった。 彼は高度4千米でスピンに入った。 機首を上げそうな傾向がないので悠々とスピンを続けていると、突然機首を上げてしまった。 回復操作が間に合わなかったのである。 今からエンジンを全速に吹かすと、飛行機は空中分解する。 止むを得ずエンジンを絞りスイッチオフして落下傘降下した。

 ところが、フラットスピン中の機体の降下率と落下傘で降下中の彼の降下率が等しいので、機体と彼は並んで降下することになった。 こうなると降下するパイロットにとって一緒に降下する飛行機は極めて危険なものだ。 機体が回頭して遊転するプロペラが落下傘の紐を切断するか、岡村大尉の胴体を輪切りにするか、何れかになるからだ。

 数秒後にその危険が迫ってきた。 彼の体にペラが近づきそうになったのだ。 彼は近づいてくる翼の前縁を力一杯に蹴った。 それが悪い結果となった。 彼の肉体は傘を中心にして時計の振子のように振れ始め、落下方向を変えることができなくなった。

 この振子の周期と、フラットスピンの回頭の周期が会致した瞬間に彼の死がやってくる。 遊転するペラはカミソリ刃のように鋭利なのだ。 最悪の事態がその数秒後にやってきた。 ペラが彼の体に近づいてくる。 彼は思わず左の手でペラを押した。 彼の指は鋭いペラに切られて飛び散った。

 第2回目の危険が間もなくやってくる。 彼はどうして逃れようかと焦った。 幸いにも、2回目の危険が訪れる寸前に機体と人体とが同時に接地したのであった。 彼は3本の指をなくした。

 この実験の成果は十分であった。 彼は勇敢で貴重な実験を敢行したことと、公務の負傷に対して賞状と金6百円を賜わった。

 傷が全治した日、彼はこの実験の関係者を横須賀の料亭に招待した。 そして、連日飲んで、6百円支払っても2百円借金が残った。

 私は、昭和12年佐伯の料亭で岡村中佐 (その時は中佐になっておられた) とよく飲んだが、その時、

「 この指一本が2百円か。 もう一本切れていたら借金せずに済んだのになあ、高橋君。」

 と言って笑っていた。 それは中佐の偽悪的な軽口ではなく、

「 金なんか頂きたくない。 航空のために俺は生きているんだ。」

 と叫ばれたように思った。 戴いた金を即日皆とともに飲んでしまったのもその意気地であったのであろう。 当時の6百円は今の2百万円くらいになるが、豪腹を岡村中佐が皆に示した心意気として少な過ぎた額であった。

orig-030g_s.jpg
( 原著より )

 岡村中佐はトランプと相撲が好きで、酒は飲めないが酒席が好きで、曲ったことが大嫌いで、部下思いで、気が強そうで弱い人で、照れ屋さんであった。 苦しいこと難しいことを率先して引き受けて、他人に功を譲って黙っていた。 こんな心豊かな善人に仕えたことを私は生涯の幸福だったと思っている。

 こんな立派な方であったが、報われること少なく、特に、戦争中の部下の犯罪を一身に引き受けて敵に裁かれる不名誉を拒否して自決された。 彼の肉体は戦争の嵐の中に消えたが、嚇々たる事績は永久に消えることはない。

(第1章 終)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/31761252
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック