それは一番最初の 「艦砲射撃の基本中の基本」 でお話しした、艦砲射撃というものの本質がどういうものなのか全く判っていないからです。
いったいこの射手による 「照準」 なしにどうやったら射撃そのものができるんでしょう?
これについては “トンデモ本” の中には全く書かれておりません。 それはそうでしょう判らずに好き勝手を書いているんですから。
したがって、この 「照準」 が判らないから、次のようにも書いているんです。
| 日露戦争のころ、砲術における三種の神器とされたのは、照準望遠鏡、測距儀、トランスミッターの三つで、このうち照準望遠鏡はあまり重要ではない。 (p74) (p77) |
| 照準望遠鏡 (Telescopic Sight) とは、狙撃手が小銃の上につけるスコープと同様のもので、単眼望遠鏡であるにすぎない。 つまり砲手の目で照準をつける水雷艇対策の12ポンド砲 (ロシアでは75ミリ砲) で有効な武器である。 (p74) (p77) |
あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎてコメントを付ける気にもなりません。 この 「照準」 という問題については既にくどいまでにご説明してきましたので、もう改めて申し上げる必要もないでしょう。
正確な 「照準」 のためには、優れた照準望遠鏡、すなわち優れた照準器が必要なのです。

( 四十口径安式六吋砲用照準望遠鏡付き照準器 )
「照準」 が判らない、だから照準望遠鏡についても判らない。 したがって “単眼望遠鏡であるにすぎない” というこんな文章にならざるを得ないのです。
したがって、この著者には何故 「大和」 「武蔵」 に装備された 「九八式方位盤」 の様な “超高級” な照準装置が出来たのか、などは理解不能でしょう。
そして、更に大きな問題点は、この 「照準」 ということが判らないので、必然的に艦砲射撃全体の記述が勝手な推測・想像による “トンデモ本” になってしまっています。
例えば、「照準」 すら判っていないので、同じく目標をキチンと “測る” という 「測的」 についても全く出てきません。
いや出てこないのは当たり前で、この著者は 「測的」 というものを全く知らない、理解できていないからです。
判らないからこそ、「苗頭」 の所でとんでもない説明をしているわけで (^_^; (この 「苗頭」 については、また後ほど別の項で。)
いったい、「測的」、つまり目標の 「方位の測定」 と測距儀による測距がなくて、どうやって目標の的針的速が得られるのでしょうか? これがなければ正確な射撃計算などは不可能です。
艦艇の速力も遅く、運動見越などがある程度ラフであっても、その誤差が目標の大きさの中に収まってしまうような近距離射撃の場合ならともかく、それ以上の射距離になる場合には、この測的結果に基づいて正確な射撃計算をし、それを各砲に調定する必要が出てきます。
もしその測的とそれに基づく射撃計算が “1ヶ所” でできないとするなら、即ち各砲台毎に実施していたのでは、今日でいう 「斉射」 はできないと言うことになります。
それはそうでしょう。 そうでなければ、後の (=日露戦争以後の) 近代射法上の要求を満たすほどの、一斉射ごとのまともな 「散布界」 など得られるはずはありませんから。
| 斉射法を実行するに当たって、日露戦争時代の5000メートルから1万2000メートルの砲戦でインプットすべき要素は、敵艦速度・方向、原始位置(距離)、自艦速度・方向に限られる。 (p72) (p75) |
などと判ったようなことを書いていますが、ではその敵艦速度・方向は “何処で” “どうやって” 得られたのでしょうか? 目標 (敵艦) の常続的な方位測定はどうしたのでしょう?
これこそが 「測的」 であって、そのために後になって 「方位測定」 と 「測距」 のデータに基づく的針・的速の解析し、対勢を判断する 「測的盤」 が発明されたのです。
そして更なる精度向上のために、測的盤の改良と共に、長基線の測距儀が作られて測距精度を上げ、方位盤による正確な照準を利用して方位測定精度を上げる方策が採られるなど、徐々に正確な測的が可能になってきたわけです。
この肝心な、そして近代砲術発展上、いずこの海軍でも苦労したこの 「照準」 「測的」 という艦砲射撃においては基礎的な大問題を全く判っておらず、それ故にこの “トンデモ本” の中では “如何にしたら射撃のための正確なデータが得られるか” という肝心要のことは完全無視となっています。
「照準」 さえまともにできない、射撃計算のための正確なデータが得られない ・・・・ で、一体どうやって射撃をするつもりなのか?
そんなことは、斉射だの射法だのという以前の艦砲射撃の根本問題です。
まさか、当時既に自動追尾の射撃用レーダーを備えた射撃指揮装置があったとでもいうのでしょうか?
それとも安保砲術長が自分で自らやっていたなどと言いたいのでしょうか。 あの 「三笠」 の露天艦橋で? (^_^;

これらの問題を抜きにしては、「打ち方」 や 「射法」 などといったものは決して語ることができないのですが、それを 「斉射法」 や 「優れた砲術というソフト技術」 などという訳の判らない言葉を勝手に振り回して “読者を煙に巻いている” のがあの “トンデモ本” です。
この 「測的」 という問題についても、この後順次お話をしていきたいと思っています。
(この項終わり)