2009年08月28日

『飛翔雲』 第1章 揺藍時代 −その5

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第3話 計器飛行の発明 (承前

 さて、本論に戻ろう。

 針のない旋回計だから、バブルが真中にあってコンパスが回っていなければ飛行機は安定した直線飛行中であり、回っていれば安定して旋回しているわけだ。 問題はバブルが中心にない時、手と足のどちらが狂っているのかの判定である。 水平儀はないから傾斜は解らない。

 一三艦攻には風防はなく、操偵ともに頭上は青天井である。 操縦者は幌を被って雲の中と同じにし、偵察員は座席に立ち上がって顔に風を受けながら飛ぶと、頬に当る風の具合で飛行機の滑りが判る。 そこで偵察員が 「右っ。左っ」 と頬に当る風の方向を言うと、操縦者はそのとおり足を踏む。 そしてコンパスが回り始めれば、手足のバランスをとってその旋回を止めれば安定した直線飛行になる。

 これで理論的には計器飛行はできる筈である。 操縦者として嫌だったのは、偵察員が右っ左っというとおりに足を踏むことになると、馭者に命じられている馬車馬のようで感じが良くないということであった。

 実験が開始された。 優秀な老練パイロットが次々と交替で乗った。 偵察員は岡村大尉一人である。 彼は飯も食わずに頑張った。 迫浜飛行場を飛び発ち、高度500mで操縦者は幌を被り、真鶴往復約60浬のコースを飛んだ。 理論は解るが実際の操縦は難しかった。 バブルは決して素直に真中に坐っていない。 十数名の名パイロット達は、やればやる程自信を失っていった。

 一か月経った。

 パイロット達は段々と実験を敬遠した。 そして、最後にただ一人弱音を吐かぬパイロットが残った。 それは入佐俊家中尉であった。

 入佐中尉は、後年神様と言われて若い者から慕われた人である。 神様と言われても一般普通の人格者というのではない。 酒も煙草も女郎買いもやる。 英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃沈した隊長であるが、難しい戦闘場面で彼が指揮官として先頭に立ち、ハンドルを持ってピタリと定針すると砲弾雨飛の中を微動もしない人で、しかも戦機を掴むに俊敏で、攻撃は直線的で果敢であるため味方の被害が極めて少なく、その結果士気は大いに揚がったという。

 岡村大尉と入佐中尉の一騎打ち勝負となった計器飛行訓練は、いつ果てるとも知れなかった。 両氏とも強情我慢で、苦しいことで参ったとは言わない男だ。

 夏の宵であった。 小田原の町の灯が美しく見えていた。 高度は500m、入佐中尉は幌を被った。 バブルは中心にある。 気速もよし。 エンジンも調子よし。

 岡村大尉は後席から右とも左とも言わない。 総てが調子よしと思って高度計を見ると200mになっていた。 エンジンを入れても高度が益々下がる。 終に高度計がマイナスになった。 入佐中尉は幌を払いのけた。 その瞬間、翼端が海面に接触した。 飛行機は約60度傾いていたという。

 後年、入佐中佐は、錯覚は恐ろしいものだと言っておられた。 幸いにも二人とも怪我はなかった。

 小田原の料亭で向かい合った二人は、何も言わずに長い実験の第一次終了を感じた。 さすがの岡村教官も、全パイロットが難しいという実験は続けるわけにはいかなかった。 残念であるが基礎から考え直すことにした。

 彼はその後計器の発明に努力した。 操縦教官達も機会をとらえて、岡村式計器飛行訓練を行ないながら新方式の発見に協力した。 現在の針、玉、気速、という計器飛行の操縦原則が行なわれる前の日本海軍の涙ぐましい努力であった。

 実験は失敗に終ったが、理論の究明と新計器の発明の努力がそのまま後輩に受け継がれたのである。

 奇人岡村徳長氏は土佐の人で、戦後天皇陛下が土佐に行幸された時、赤旗を振り振り陛下を心からお迎えし て 「天皇陛下万才」 を三唱し、彼に続く共産党員も陛下のご健康を祝福したという。 いつまでも天皇陛下とご縁のある奇人であった。 日本海軍航空のために偉大なる足跡を残した哲人であった。 今も元気で土佐共産党を激励しておられるであろう。

( 注 : 岡村徳長氏は昭和47年75歳で物故されました。)
(第3話 終)

この記事へのコメント
こんばんわ、へたれです。

岡村徳長氏といえば、ガダルカナル島で飛行場設定を行った第十三設営隊の隊長ですよね?かなりの武勇伝?で知られた方であるようです。こういった方が海軍航空隊揺籃期にいたからこそ、その後の海軍航空が大いに発展したものと思います。
ガダルカナルの戦いでも生き残り、戦後も健在でいらっしゃったということは、なにがしかガダルカナルに関する証言なり著作があるのでしょうか?
本編とは関係なくてすみません・・・
Posted by へたれ海軍史研究家 at 2009年08月28日 20:21
へたれさん

>ガダルカナル島で飛行場設定を行った第十三設営隊の隊長ですよね?かなりの武勇伝?で知られた方
 はい、そのとおりです。

>ガダルカナルに関する証言なり著作があるのでしょうか?
 証言は色々な形で戦史記述に利用されているはずですが、著作は残念ながら浅学にして存じません。
Posted by 桜と錨 at 2009年08月29日 11:08
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