2009年08月26日

『飛翔雲』 第1章 揺藍時代 −その3

著 : 高橋 定 (海兵61期)

 第2話 男の意気地

 昭和18年、横須賀航空隊に白面長身の巨漢で温容人を包む美丈夫がいた。 その名を宗雪進之助という。 当時大佐の中でも古い方であった。 私はこの人から数回碁を教わった。

 碁が始まると、多くの観戦者が集まって来て無責任な助言が出る。 しかし、この大佐は五段で、海軍一番と言われた人だから、私の応援団がどう騒ごうと泰然自若としていた。 私は数回負かされた後、こんなことを言われた。

「 君は碁を打っている時、どんな雑音が入っても、それに助けを求めようという気持を持たないのが非常によい。」

 誉められたのか、慰められたのか解らないような気持だったが、後日大佐の同期生から次のような大佐若かりし日の航空事故を聞くに及んで、なる程と納得するものがあった。

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( 一四式水上偵察機 )

 大正末年の或る日、宗雪中尉は水上機で訓練中エンジンが停止し、房州沖を漂流し始めた。 本隊からの救助隊は来ない。

 無線など未だ無い時代、距岸30浬の海上で黒潮の流れも早い。 夕暮になって漁船が漂流機に近接して来た。 漁民が飛行機の中を見て海軍中尉を見つけ、「どうしなすったか。助けてあげましょう」 と言った。

 すると、宗雪中尉は大声で怒鳴った。 「助けてくれとは言わん。助け船をよこせっ」 と。 漁民はびっくりして逃げ帰り、すぐ警察に届けた。

 翌朝から捜索が行なわれた。 不時着機は昨夜の風波により転覆沈没し、搭乗員3人はブイにつかまって漂流していた。 捜索は困難を極め、3人の搭乗員は疲労のため死の寸前に漁船に拾われたが、その時にも宗雪中尉は 「助け船をよこせ」 と言って漁民を苦笑させた。

 後日談になるが、宗雪中尉はその時の漁民全員を銚子町の料亭に招待し、大いに飲んで仲良くなり、その後も交際が続いているということであった。

 時代感覚が現代とは全く違っているので、今の若い人達には理解してもらえないかも知れないが、問題は宗雪中尉の安全上の処置の是非善悪についてではない。

「 下士官偵察員は漁船で送り帰すべきだ。 報告のためにもそうすべきだ。」

「 頑固な意地っ張りも程々にすべきだ。」

「 搭乗員が飛行機を去れば飛行機は転覆するが、搭乗員が乗っていれば転覆しないという保証はない。 転覆しなければ水上機は何日間も浮かんでいるし、そのうちに拾いに行けばよいのだから乗員は漁船で帰るべきだった。」

 いろんな議論があったという。 しかし結論は、

「 若い中尉のやったことだ。 いろんな処置も考えられるがそれは問題にしない。 彼の武人としての意気地は称讃に価する。」

 ということで、彼は表彰された。


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( 九〇式戦闘練習機 )

 昭和7年6月。 石川少尉学生が霞浦航空隊で九〇式戦闘練習機で単独離着陸訓練中、着陸に失敗して転覆し、脚を空中にして座席から出られなくなった。 教官、整備員が急いで駈けつけ、翼を持ち揚げて石川少尉を座席から引きずり出した。 その時、石川学生は開口一番、

「 教官! 私は学生罷免ですかっ?」

 烈迫の気合であったという。 それに押された教官達は、「まあまあ」 と彼をいたわりながら指揮所に連れて来た。

 彼はいろんなことを尋ねられても言葉少なく答えながら、学生を罷免すると言われたら自決し兼ねない顔色であった。 教官達は彼を罷免しなかった。 無事卒業することができたのである。

 後年私が飛行学生の教官の時、当時の教官であった隊長が学生に訓話をされ、この時の話を引用して

「 石川少尉学生の全身からは焔が立ち昇っていた。」

 と言われた。
(第2話 終)

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