2009年08月21日

艦砲射撃の基本中の基本 − 「照準」 について(4)

 もう少しこの “嘘っぱち” を、旧海軍史料に基づいて実証しましょう。

 まず、日露戦争の最中の明治37年12月20日付けで、連合艦隊は 「連隊法令第86号」 をもって 『連合艦隊艦砲射撃教範』 を制定しました。

GF_manual-over_s.jpg

 この教範は全部で112ヶ条からなるものですが、その内の 「第1章 照準発射」 の37ヶ条、そして 「第2章 内筒砲射撃」 の27ヶ条とで合計64ヶ条、それに他の章にある照準に関する条項を含めると、実に全体の6割がこの射手の 「照準」 に関するものであり、射撃指揮や射法などについては残りの4割に過ぎないのです。

 内筒砲射撃についてはここではご説明しませんが、これの最大の目的が射手の照準の訓練にあることは、容易にお判りいただけると思います。

( 注 : 「とう」 の字は例によってパソコンの一般的なフォントにはありませんので、「筒」 で代用しました。)

 即ち、如何に 射手の 「照準」 というものが “艦砲射撃の根幹” に関わるものであるか、と言うことです。

 私の手元にあるのはキチンとタイプ印刷されたものですが、現在では当初の手書きのものが 「アジア歴史センター」 の次のURLで公開されていますので、まだご覧になっていない方はどうぞ。


 そしてもう一つ。

 日露戦争中、旧海軍は明治36年に全面改定された 『海軍艦砲操式』 の規定に従ってその装備する砲の操作を教育訓練し、実戦で使用しました。

 そして日露戦争が終わった後、日露戦争での教訓などを採り入れた改正として、明治41年の 『海軍艦砲操式草案』 を試行した結果を踏まえ、大正元年に新しい 『海軍艦砲操式』 が制定されました。

 その大正元年版の中 “でさえ”、例えば 「四十口径安式十二吋砲(連装)」 についての規定では、次のとおりとされています。

「 (旋)ハ銃把ヲ握リ左右 照準 ヲ行ウ 」

「 (射)ハ銃把ヲ握リ食指ヲ引金ニ鉤シ上下 照準 ヲ行ヒ ・・・・(後略)」

「 (右射) ((左射)) ハ右 (左) 砲ヲ発射シ次ニ (左射) ((右射)) ハ 「左(右)用意」 ト令ス ・・・・(中略)・・・・ (左射) ((右射)) ハ左 (右) 砲ヲ発射ス 」

( 注 : (旋) とは旋回手、(右射) (左射) はそれぞれ右砲射手、左砲射手、(射) は左右両砲の射手を意味する略語です。)

 さて、一体どこに “射手の操作は単に機械の目盛に合わせるだけ” “ブザーに合わせて引き金を引くだけ” などとされているのでしょうか?

 これは言い方を変えれば、艦砲射撃に日夜心血を注いだ全ての海軍軍人に対して、これほど侮辱し、無礼なことはないと言うことです。

 「斉射法」 などと判ったようなことを独りよがりに振り回す以前に、たったこんな “初歩の初歩” さえキチンと調べもせず、また理解もできずに、ウソを書き連ねて他人を批判するだけのような本を出版するなどは、如何にジャーナリストとはいえ、決してやるべきでことではないでしょう。

 もちろんこの本、その方面では割と知られていますので、著者と書名は皆さんご存じですよね?

( なお、上記の大正元年版 『海軍艦砲操式』 では、いわゆる 「交互打方」 が砲塔砲における発射法の規定であることにご注目下さい。 これもこのトンデモ本の内容に関係することなのですが、これについてはそのうち項を改めてお話しします。)

(この項終わり)

posted by 桜と錨 at 12:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
僕自身、それほど知識があるわけではありませんが、以前ある戦艦大和の著作で、主砲方位盤射手・村田大尉の話しを読んで感動した覚えがあるので、今回の記事は、その感動を再認識できました。射手、旋回手だけでなく、動揺手という役割を担う配置もあった由。
Posted by 凡夫 at 2009年08月21日 16:37
 凡夫さん

 村田元輝大尉、水永巳子男少佐(何れも特務)などは、照準発射の神様と言われる人々の、更にその頂点に立つ人達ですね。
Posted by 桜と錨 at 2009年08月22日 13:08
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/31479877
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック